「僕の太陽:25」

<大人達の背中>





リコが気がついたときにはすべてが終わっていた。







大人達の背中





電話に集中していた目線をあげると、男たちは一斉に逃げ去っていく最中だった。

「あれ・・?」

リコはきょとんと瞬いた。その声が聞こえたのだろう。
赤谷があっと言う間に人気の無くなった路地の真ん中で、頭をかきながら振り返った。
その顔は困ったような表情を浮かべているもの、何故か怪我らしい怪我をしていないように見える。
リコはさらにぽかんとした顔で赤谷を見上げた。
あんなに殴られたり、蹴られたりしていたように見えたのに。どうして。
「・・あ、赤谷さん・・あのお怪我は・・。」
おずおずと尋ねると赤谷は笑みを浮かべた。
いつもの優しい笑顔。
「ん?ああ、平気平気。俺、うまいこと直撃避けるの慣れてんねん。するーっとよけんの。」
赤谷は二人に歩み寄る。
無造作に運ばれるその足取りにもふらつきは無かった。
しかしリコの手にしている携帯電話に目を移すと小さく声をあげる。
「・・・しまった。リコちゃん、電話終わったん?」
「え、あ、いえ・・まだ、途中で・・。」
電話口からはリコの拙い説明を聞いてくれていた女性が心配そうな声をあげている。
赤谷はあちゃあ、と言いながら声をひそめた。
そうしてこそこそと続ける。
「リコちゃん、電話切って。」
「え、でも・・。」
「もう片はついてん。せやから警察はもうええねん。ごめんな。」
「え、あ、はい・・。」
リコは赤谷のことを無条件に信頼している。だから素直に頷いた。
もう解決しましたと言い、礼を言ってなんとか携帯を切る。
すると赤谷がしゃがみこんで、司の傷の具合を見ているところだった。
司は呆然とした表情で座り込んでいる。
顔は腫れ上がって、ところどころ血が滲んでいた。
苦しそうに、かすかに前かがみの体勢で地面に目を落としている。
それはいかにも痛そうに見えて、リコの心臓がぎゅっと縮み上がった。
「つ、司くん、大丈夫・・?」
「・・・。」
司はその顔をふいと横に向けた。
それを見て赤谷がどこか懐かしそうなものを見るように瞳を細める。
しかしそれはほんの一瞬だけで、それはすぐににやにやとした笑みにとってかわった。
「ま、怪我はとりあえず大丈夫やろ。・・ええと、司ってことはリコちゃんの弟くんかいな。」
「はい。」
そうかと赤谷は頷く。
「よっしゃ。じゃ、ひとまずここから逃げとこうや。」
「え、で、でも・・わたしたちが逃げる必要なんて・・。」
そう言うと赤谷は大きく息をついた。
「はあ・・いやね、ついつい俺が手え出してもうてん。手えっちゅうか、足やけど。」
手を出すつもりなんてなかったんやけどなあ。そう言って肩を落とす。
「?ええと・・。」
「こっちが手え出してもうたらそれはもう喧嘩や。我慢しとったらまた少しは違うんやけどな・・。
喧嘩やったら警察にばれたらいろいろ面倒なことになる。ほら、よく喧嘩両成敗っていうやろ?」
「そ、そんなものなんですか?」
「そういうもんなの。うし、ここからやったらリコちゃんの家のほうが近いな。司くんも手当てしてやらなあかんし。司くん、立てるかいな。」
「・・・。」
赤谷の言葉に司は地面に目を落としたまま頷いた。
手を差し出す赤谷から顔を背け、自分で立とうとする。
しかし全く力が入らず、すぐにその場に膝をついた。
それをみて赤谷はからからと笑う。
「まあ無理せんどき。あれだけぼこぼこにされたらあちこち痛いやろうもんなあ。」
「・・・。」
「しゃあないなあ。男なんぞ背負ったっておもろくもなんもないんやけど。」
「・・な・・おい!」
「時間がないねん。我慢しいや。」
「・・・っ!」
「よっしゃ。行くでリコちゃん。」
「は、はい・・!」



情けない・・。

司はぼんやりとする意識の中で思っていた。

何なんだ、俺は・・。


赤谷という男の背中は思いのほか広かった。
がっしりと骨太で、筋肉が大きい。
背丈ばかりの高いのんきな男とばかり思っていたが、そうではないことをまざまざと思い知った。

司とて小さいわけではない。
しかしその司を軽々と背負って歩く赤谷の歩きには、やはり不安定なものがまったくみられなかった。
一歩一歩、確実に地面を踏みしめて歩いていく。
「・・・。」

ちらりと姉の姿を見る。
リコはぼさぼさの髪のまま、男の横で一生懸命足を動かしていた。
時折赤谷がリコに声をかけると、姉は司には見せないような笑顔で男を見上げる。
雲の切れ間から太陽が覗くようなそれは、どこまでも暖かった。


司は目を逸らす。
自分が情けなく、そうしてひどく惨めだった。


リコを守りたい。
子供の頃の司は純粋にそう思っていた。
それが今はどうだろう。
自分の感情を押し付けてリコを悲しませるばかりか、危ない目にまで合わせてしまった。
そうして、それを助けることもできなかった。


・・ああ、本当に俺は・・。


赤谷が声をかけ、リコが微笑む。


・・格好が、悪い・・。



「大人達」の背中を見ながら、司は痛いぐらいにそれを噛み締めていた。







大人達の背中








「僕の太陽:26」に続く





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