「僕の太陽:24」

<反則な男>






男が同僚の忘れ物に気がついたのは、その日、帰宅したあとだった。
その随分古い型の携帯電話には見覚えがあった。
「これリコちゃんのや。」
リコの家に電話は無い。そこで彼女の弟の携帯電話にかけてみるが、当人は出なかった。時刻は深夜。
寝ているのかな、と思いつつさてどうしようと考える。
「うーん・・。」





リコは必死で走り回っていた。
公園。駅。コンビニ。
しかしどこにも弟の姿は見当たらない。
泣きそうになりながら立ち止まる。そこでようやく携帯電話のことを思い出した。
司の携帯に電話しようとして自分の携帯を探すが、しかしどこにも見当たらない。
家に忘れてきたのだろうか。ああもうわたしの馬鹿。
なんとか公衆電話を探して司の携帯電話の番号を押したが、しかし司は電話にはでなかった。
どうしよう。途方に暮れながらリコは考えた。
そうだ。家族の勘とかで居場所がなんとなく分かるかもしれない。
双子の兄弟とかには不思議なテレパシーがあるとテレビでみたことがあるもの。
目を瞑って弟の姿を思い浮かべる。
「・・・。」
けれどやはりわかるはずもなく、リコは目を開くと唇を引き結んだ。

だけど探さなきゃ。

わたしが司くんをみつけなきゃ。







反則な男







どこをどう走ったのかは覚えていない。
ただ必死に、あちこちを探し回っていた。
いつもは踏み入れない繁華街。
そこを走り回るリコは明らかに浮いていた。


さんざん走り回って、そうして奇跡的に司を見つけたときには思わず悲鳴をあげた。
違う意味で。
薄暗い路地。
弟は知らない男たちに囲まれ、血を吐いて倒れていた。



「司くんっ!」
リコは路地に踏み込んだ。
突然のことで男たちも間をすり抜けるリコをあっけにとられたように見ていた。
「つ、司くん、ど、どうしたの・・大丈夫・・?」
リコは倒れている少年にかけよると躊躇なくその側に膝をついた。
髪は先刻、司が乱したままだった。服だって家に居た時のまま、いかにも寒そうなものだった。
司は呆然とした。
どうして、と疑問が湧き上がる。
どうしてこんなところに居るんだろう。
どうして、リコが。
リコは司の前に立ちはだかった。
それはいつものふにゃふにゃした姉ではなかった。顔は蒼白で、強張っている。
声だって震えていた。
それでもどこか凛としていた。
司を守るようにその背にかばう。そうして男達を見上げた。
「あ、あの、司くんが何か悪いことをしたのなら謝ります。だからもう、暴力はやめてくださいませんか・・。」
男達は一瞬と惑ったようだが、すぐににやついた笑みを浮かべた。
「へえ、お前の女?色男くん。」
問われて司は首を振った。
リコは違う。リコは、俺の・・。
「姉さん、いいから逃げろ・・。」
リコは司に背を向けたまま首を左右に振る。
それは弱々しいくせに、やけにきっぱりとした意思を感じさせるものだった。
「姉さん・・。」
司は言葉を失う。
ぼやけた視界の中見えるリコはやはりさきほどのままだった。
乱れた髪。この寒空の中、コートすら羽織っていない普段着。
そうか、と思った。
このまま自分を探しに出てくれたのだろう。
あのときと同じように、放っておけなかったのだろう。
こんな・・最低な自分を。


男のひとりが下卑た笑いを浮かべたのが見えた。リコの手を掴む。
馬鹿な姉ちゃんだな。男が言う。
まあいいか。楽しませてもらえそうだ。誰かが下品な笑い声をあげた。
やめろといいかけた司の腹を他の足が蹴り上げる。
喉元から何かがせりあがっていて司は吐いた。
自分はどうなってもよかった。
先ほど男たちに殴られながら、司はそう思っていた。
ここで死んだってよかったのだ。
でもリコは。リコだけは。

やめてとリコが叫ぶ声が聞こえた。司くんにひどいことしないで。
司のこめかみを生ぬるいものが伝う。
立ち上がろうともがくが力がまったく入らなかった。
激痛が走る。意識が途切れそうになる。


誰か。
誰か、リコを・・。



「何や、喧嘩か?」

そのとき聞き覚えのある声がその場の緊張を破った。


薄暗い路地の入り口。
そこに立っていたのは背の高い一人の男だった。
この場にそぐわないようなのんきな声が響く。
「お前ら何しとるんや。喧嘩やなさそうやなあ。リンチはあかんよリンチは・・って、リコちゃん!?」
男はリコを見て目を丸くした。
リコの方こそ驚いたように目を見開いている。
「あ、赤谷さん・・。」
「なんでリコちゃんがこないなとこにおるん?まあ、ちょうど良いけど。
あんな、リコちゃん俺のうちに携帯を忘れとってん。せやから夜分やって思てんけど一応それを届けに・・。」
「赤谷さん・・。」
「なんだお前は。」
「んー。兄ちゃんこそなんやねん。リコちゃん泣いとるやないか。その手え離したり。」
赤谷は無造作に歩いてくるとリコの手を掴んでいた男の手首に触れた。そうしてその手をひょいと捻る。
「ぐわ!」
男が呻いた。リコはあまりにもあっさりと開放されきょとんとする。
赤谷が何をしたのかはわからなかった。
2歩ほどたたらを踏み、そうして見上げた先には赤谷の背中があった。
自分たちを守るように立つその背中は広い。
見慣れたそれに、泣きたくなるほど安心した。ああもう大丈夫だ。根拠もなくそう思った。
「司くん・・。」
リコは倒れたままの弟によろよろと駆け寄る。
弟は盛大に咳き込んでいた。抱き起こそうと手をかけるがその身体は重かった。
「司くん、司くん・・大丈夫・・?」
「・・・。」
「もう大丈夫だよ。赤谷さんが来てくれたからね。」
司は目を上げた。
そこには見覚えのある茶髪の男の姿がある。呆然とした。
赤谷はちらりと振り返った。
「リコちゃん、携帯。」
「は、はい!」
リコは投げられた自分の携帯電話を受け取った。赤谷はにっこりと笑う。
いつものような、あまりにも緊張感の無い笑顔だった。
「それで警察呼んで。」
「あ、は、はい!」
リコは頷いた。
しかし次の瞬間赤谷に襲い掛かろうと手を伸ばす男たちを見て悲鳴をあげる。
そうだ。赤谷さんだってあんなに多くの男の人たちに殴られたら危ないに決まっている。
リコは蒼ざめた。
考えてみれば赤谷が喧嘩するところなんて見たことが無い。いつもにこにこしていて、どうみても強そうには見えなかった。
なのにどうして大丈夫だなんて思ってしまったんだろう。
「赤谷さん!」
鈍い音が響いた。
赤谷の身体がよろめく。地面にぱたぱたと赤い染みが落ちていく。
殴る音。蹴る音。際限なくそれは続いた。
「やめて・・。」
リコは立ち上がろうとしたがその手を引かれて振り返った。
見ると司が、赤谷目を向けたまま自分の手を掴んでいた。
「・・姉さん、早く警察を。」
「で、でも・・。」
「大丈夫だよ・・あいつ・・。全然こたえてないみたいだから・・。」
「そんな、あんなに殴られてるのに・・。」
「あいつら、全然こっちに来ないだろ。あいつが上手く止めてるんだ。・・なんであんなことできるんだよ・・。」
「・・・。」
「・・くそ・・。」
リコは赤谷を見る。全然そうは見えなかった。
それでも司の言うとおり携帯のボタンを押す。手はぶるぶると震えていた。



リコが震える声で必死に電話をしている間もずっと、司は男の姿を見ていた。
司は格闘技には詳しくない。しかしそれでも赤谷という男がわざと殴られているということだけはわかった。
男達もそれを感じたのだろう。本気で殴りかかっている。
しかし赤谷は倒れなかった。反撃すらしない。
しかし男の一人が、赤谷の背後で警察に電話をかけているリコの姿を捉えた。
「あの女・・!」
叫ぶやいなや、電話を止めようと走りだす。
そのときだけ赤谷が動いた。
琥珀色の瞳がほんの一瞬だけ鈍く光ったように思えた。
ほとんど同時にその左足が無造作に跳ね上げられる。
空を切る音が聞こえてきそうなほど、それは凄烈な動きだった。。
そうして一瞬の後。
激しい音と共にその男は路地の壁に叩きつけられていた。
辺りをしんとした静寂が包む。

「あ。」
そんな中、赤谷が小さくつぶやくのが聞こえた。
存分に実力を見せ付けた男は、しかしどこか情けなさそうに言う。

「・・やばい・・し、叱られる・・。」







反則な男








「僕の太陽:25」に続く





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