「僕の太陽:20」

<崩壊>




少年は呆然としていた。
何も、何ひとつわかっていないのだ。そう思った。
それだけ「自分」を見ていないのだ。そうとも思った。


頭が沸騰した。

抑えが、効かなかった。







崩壊






手首はひどく痛かった。


「何が話したい、だ。」
司は容赦の無い力でリコの手首を握る。
こんなことは初めてだった。
その手は記憶にあるそれよりもずっと硬くて大きかった。
「いつかは別れるから今だけでも仲良くしようって?そういうことか、姉さん。」
司の声音は低くひび割れている。
「・・人の気も知らないで。」

瞳はひたすら冷たかった。冷たい中にもぎらぎらした光がある。
リコへの怒り。それだけは明確だった。
リコは反射的に身を縮めた。怖くて怖くてならなかった。
司が何を言っているのかわからなかったし、何よりその気配が怖かった。
しかしひこうとした手は弟の力で止められる。そのせいで身体はぴくりとも動かなかった。
「司くん、は、離して・・。」
「何で。」
「い、痛いの・・。」
「何言ってるんだよ、姉さん。俺の話が聞きたいんじゃなかったのか。」
「聞きたいよ。でも・・。」
司は吐き捨てた。
「姉さんは相変わらず勝手だ。」


リコはびくりと身を震わせた。本当にそうだ。自分は勝手だ。
ずっと感じていたことを本人に言われて身がすくむ。
だから・・だから司くんは自分のことが嫌いなのだろうか。
おじさんに頼まれたからだとか、同情とか、哀れみとか。そんなものだけじゃない。
ただ司と一緒に居たかった。だから勝手に司と住むことに決めた。
弟は勝手な自分に付き合ってくれていただけなのだ。
だけどもいい加減、それに嫌気がさした。
当たり前だとリコは思う。すべては自分勝手なリコの感情で、司はそれに振り回されていただけなのだから。
そう考えるとすべての辻褄があう。
司の不機嫌なわけも、自分を見るたびに苛々する感情の正体も。
自分は嫌われてしまったのだ。
そうしてそれもすべて、自分の招いたことに違いが無かった。
リコは司の顔を見上げる。
昨日もそうだった。この距離で司を見上げた。
昨日と同じだった。司はやはり、どこか泣きそうに見えた。


・・お姉ちゃんなんて大嫌いだ!二度と・・二度とこの家に帰ってくるな・・!


一度として忘れたことはない。10歳の司の泣き声がふいに蘇ってきた。
リコのことを心配してくれて、大切にしてくれていた弟。
しかし結果的に自分はその気持ちを裏切ってしまった。
子供の頃一緒に暮らした5年間。
リコは司のおかげで幸せだった。
何も取り得がなくてお荷物にしかならなかったリコを、それでも必要としてくれたのは司だけだったから。

父親は帰ってこなかった。
おじさんもおばさんも逝ってしまった。

それでも司だけは居てくれた。生きていてくれたのだ。

再会して一緒に暮らせて。
司はぐんぐんと大きくなって。
だんだん無愛想になって、口もほとんど利かなくなってきたけれど。
それでも司は優しかった。
おそらくその時にはもう、リコのことが嫌でならなかったに違いない。
それなのに・・それでも凄く、優しかったのだ。


その優しさに甘えてきたのは自分自身。
司と一緒に居たかった、リコの我侭にすぎない。


「司くんごめんね・・。」

何とか声を出すと、能面のように強張っていた端正な顔がぴくりと歪んだ。
怖いと思った。もしかしたら殴られるのかもしれない。
だけどもリコは言わずにはいれなかった。

「嫌な思いをさせてごめんね・・。ごめんなさい。」
司の顔がさらに歪む。そうしてもう一度、絞り出すようにつぶやいた。
「・・勝手だ。」
同時にぐいと手を引かれた。
あっけなくリコはよろめく。
倒れそうになった身体を支えたのは前に居た弟の身体だった。
手を掴んでいる反対の手は後頭部に回された。
ぐいと固定されて上を向く。
司の顔が目に入ってきた。見たことも無いような表情をしていた。
殴られるのだろうか。咄嗟にそう思ったが逃げようとは思わなかった。
司の唇が歪む。自嘲するような笑みが、今はひどく悲しく見えた。
「勝手だ。」

そうして次の瞬間。

・・噛み付くような口付けが落ちてきた。




崩壊








「僕の太陽:21」に続く





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