「僕の太陽:15」

<乙女心と落とし前>




「おーい、司あ!」
神崎の呼ぶ声に司は顔を上げた。
気づけばホームルームは既に終わっている。帰り支度を進める生徒のたてる騒々しい音がクラス内には満ちていた。
「お前また寝てんの?おいおい。夜、ちゃんと寝てるのかよ。まさか受験勉強をはじめたなんて言わせねえぞ。」
「・・・。」
司はむっつりと黙り込んだ。勉学に勤しんでいないのは明白、まさか隣の部屋が気になって眠れないとは言えない。
気づけば神崎はにやにやと笑みを浮かべていた。
「・・なんだよ。」
「いやあ、いいなあと思ってさ。」
「なにが。」
司は小さく息を吐きながら立ち上がった。連日バイトがある身としては決して、時間があるとは言えなかった。
「だって、今日も日比谷と帰るんだろ?いいよなあ、俺だってあんな可愛い彼女が欲しい。」
神崎は心底羨ましそうに首を振る。司はそんな友人を尻目に、鞄を持ちながら歩き出した。
「彼女とは帰らない。」
「・・は?」
神崎はきょとんとした。
「振られたんだ。今朝。」
「・・へ??は?お前何言ってんの?昨日の今日だし、あれ?しかもなんでお前が振られんだよ。」
神崎は顔中を疑問符だらけにして混乱している。司はそれ以上言う気にもなれずに教室を出ようとし、そこで何かにぶつかった。
「あいたっっ!」
「・・ああ・・悪い。」
「いや、こっちこそゴメンね!」
教室に駆け込んできた少女に見覚えは無かった。おそらく違うクラスなのだろう。すらりと背が高く、闊達な印象の少女だった。
少女はぶつかった司にもう一度片手を振って謝り、そうして一目散に神崎の元に駆け寄った。走るたびに高く結い上げている艶々した髪が元気よく跳ねる。
「かんちゃん!」
「うわ、びっくりした。なんだよ二ノ宮。」
驚いたような神崎の声を背中に聞きながら司は今度こそ教室を出ようとしたが、次いで響いてきた少女の言葉に完全に足を止めた。
「あかりちゃんが、あかりちゃんが、学年で有名な極悪非道の遊び人にいいようにもて遊ばれてぽいっとばかりに捨てられたんだって・・。ううう・・。」
「へ?あかりちゃん?お前、日比谷と友達なの?」
「中学の時からの友達だよ。・・くうう・・あかりちゃんの純情な乙女心を弄んで・・。あんな大人しい子がどんな思いで告白したと思っているんだか。・・うう、ねえ、イヌマルツカサってのはどの人なの?」
「・・え、ええと・・。」
神崎は少女に押されるように指を司の方へと向けて見せた。
少女はくるりと司の方を向く。鞄を肩にしたまま自分を見ている司と目が合うと一瞬だけ目を見開いた。
「あ、さっきぶつかった人?」
それは奇遇。そう言いながらすたすたと歩いてくる。近くで見るとやはり背が高かった。
決して身長が低くはない司とも、目線がほとんど変わらない。
顔の造りは整っていて、ぱっちりとした瞳を縁取るまつげはくるんと長かった。
「ええと、イヌマルツカサさん?」
「・・ああ、そうだが。」
答えると少女は重々しく頷いた。
そうして何故かポケットから消しゴムを取り出し、右手にぎゅうと握りこむ。
「・・何をしてるんだ。」
不思議に思って尋ねると、少女はにっこりと笑った。
「こうするとね、威力も増すし、自分の手へのダメージも防げるの。友達に教えてもらったのさ〜。」
「はあ・・。」
「ではイヌマルツカサさん。」
少女は天使のような愛くるしい微笑を浮かべて上半身を軽くひく。
そうして一言。
「歯ァくいしばれ女の敵!!」

次の瞬間司の世界は暗転した。






乙女心と落とし前








二ノ宮夏美は日比谷あかりと友達だった。


あかりはどちらかといえば大人しいタイプの少女で、中学時代はまったく目立つところは無かった。
ただ、わずかばかり成績が良いのと、生まれ持った真面目な性格のため、学級委員に推薦されることが多かった。
口数は多くなく、当時かけていた眼鏡のレンズはぼってりと厚かった。くわえて髪型は三つ編みだった。
どこか野暮ったい雰囲気のする典型的な「学級委員」。
それが日比谷あかりだった。


それが突然変化したのは高校に入ってからである。
眼鏡をコンタクトに替え、髪型を変えた。
どこか俯きがちだった目線も背筋もまっすぐになって、あかりは一躍「美少女」として注目されることになった。

「まあまあ、あかりちゃん、すっかり綺麗になっちゃって〜。」
二ノ宮夏美が近所のおばさんのように声をかけると、あかりははにかんだような笑みを浮かべた。同じ高校に入ったものの、クラスは別になってしまったのでなかなか出会う機会はなかったが、それでも友人関係は今でも続いていた。
「夏美ちゃん。」
「いや〜あたしは分かってたけどね。あかりちゃん、もともと綺麗な顔立ちだったもん。うん、お母さんは嬉しいよ!」
しかし変わったねえ。しみじみと言うとあかりは小さく笑う。
「なにかあったの?あ、もしかして彼氏ができたとか?」
そういうとあかりは白い頬を赤らめた。
「・・違うわ。あのね・・好きな人ができたの。」
「へ?」
夏美はきょとんとした。しかしすぐに満面の笑みを浮かべて友人を祝福する。
「本当?うわ、それはいいことだね!」
正直その話は心底嬉しかったし、心底羨ましかった。
「恋」ができるなんて幸せなことだ。いいなあ。素直に思った。
だから夏美はあかりの恋を全力で応援することにした。
たとえそれが悪評名高い遊び人であったとしても。

ところが、だ。
1年以上もの片想いをえて告白した彼女は、1日だけその相手と付き合い、そうして別れることになった。

「・・すごく、すごく好きな人がいるみたいなの。」
あかりは悲しそうに俯きながら言った。
その男のために毎日、綺麗に手入れしていた髪がさらさらと揺れる。
「あたしなんか入り込めないくらい。だから仕方がなかったの。・・だってあたし、その人のことを本当に本当に大切にしてる、犬丸くんが好きだったんだもの。」
どこか諦めたようにつぶやくあかりは夏美を見て微笑んだが、その瞳が潤んでいたことは隠しようが無かった。

二ノ宮夏美は怒った。
それにはいろいろな理由がある。
たとえば「どうして1日だけでもつきあうようなマネをするのか」とか、「乙女の純情をもてあそびおって」とか、「好きな人が居るならどうしてさんざん浮名を流すのか」とか、考えればきりがない。
しかしその理由を集約するならばたったひとつ。

自分が日比谷あかりの「友達」だったからである。



「しっかし二ノ宮。お前、いきなりグーで殴るなんて文明人のすることかよ。」
「しかたないじゃないのさ。だって、あかりちゃんの純情を傷つけたんだから。かんちゃんだって知ってるでしょ〜?あかりちゃんはほんっとうにいい娘さんなんだからね。あたしがもし男だったらほっとかないね。嫁にするね。あ、でもやっぱり藤堂も嫁にしたいね。ああ、どっちかひとりなんて選べないよ。よし、こうなったら一夫多妻制の国に引っ越すしかないね。うんそうしよう!」
「うわ!やっぱ馬鹿だコイツ!」
「それにしてもあたしのパンチなんかで気を失っちゃうなんて驚いちゃったよ。」
「へろへろの猫パンチだったもんな〜。」
「あんなのでイヌマル君、死んでないよね。」
「お前の猫パンチは全然効いてなかったけど、側に机があったのが不運だったよな。頭、すごい音がしたもんな。」
「うーん、さすがに悪いことしたなあ・・。」
「そだな。それに女癖は悪いし愛想無いけどそんなに悪い奴じゃないぜ、司。すげえ家族思いでさ。」
「そうなんだ。」
「姉ちゃんとふたり暮らしなんだ、コイツ。で、生活費の足しにするためにほとんど毎日バイトしてんの。ああ、そういえばこんな状態じゃバイトに行けないよなあ。休むって連絡してやんねえと・・。」
「かんちゃんっていい人だねえ。あかりちゃんもさ、かんちゃんのことを好きになればよかったのにねえ。」
「世間の女子は見る目がねえの。二ノ宮。お前、友達多いんだから女子に神崎くんの良い評判伝えといてくれよ。」
「あはは。了解。」
「あ、そういやリコさんにも連絡しといたほうがいいよな。ええと、今の時間家にいんのかな・・。」


司は呻いた。
意識はぼんやりと戻ってはいたが、身体も瞳も動かない。
そこで、傍らで交わされている会話を聞くともなしに聞いていたのだが、姉の名前が出た途端、急速に自分の意識が覚醒するのを感じた。
「・・るな。」
「ん?あ、司、起きたか?」
神崎ののんきそうな顔がぼやけた視界に飛び込んできた。
司は必死に目を開きながら身体を起こす。
「家には電話、するな・・。」
「え?なんで?お前が怪我したところ見たらリコさん心配するじゃん。早めに教えといた方が。」
「うるさい。」
喋ると頭がひどく疼いた。手をやると頭に包帯が巻かれているのがわかる。
ちらりと目をやると神崎の隣には背の高い少女が居て、そのまわりは一様に白い壁で覆われていた。
「ここ、保健室だよ〜。」
怪訝そうな表情をした司に気づいたのか、少女がにこにこ笑いながら言った。
「あたしのパンチでイヌマル君伸びちゃったの。あはは。ごめんね〜。」
「・・・。」
司は少女を睨んだ。
いきなり暴力を振るわれた側としては「ハイそうですか」と許せるものではない。
しかし司の視線をまったく気にした様子も無く、あくまで少女はにこやかに笑っている。
「ま、イヌマル君のしたことを思えば仕方がないよね〜。よし、あとはちゃんと自分で落とし前をちゃんとつけたら許したげる!」
「・・はあ?」
司は不機嫌な声をあげる。
少女は人差し指をびしりと目の前の少年に突きつけた。
「あかりちゃんと会わずに、うやむやのまんま別れるつもりだったんでしょ?」
「・・・。」
黙り込む司を見て少女は両手を腰に当てた。その表情に何故か怒りは無い。
どこか出来の悪い弟を叱る姉のような顔でその変な少女は言った。

「悪いことをしたならきちんと謝るのが当たり前でしょ。男なら筋をきちんと通しなさい!」




乙女心と落とし前








「僕の太陽:16」に続く





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