「僕の太陽:14」

<高宮梨子>






司はその日、めずらしくひとり歩いて帰っていた。

今から10年前、小学校にあがったばかりのことだ。
5歳年上のリコは10歳になったばかりだった。

帰る途中、泣いているリコをみつけて司は駆け寄った。司をみとめるとリコは驚いたように目を丸くし、そうしてその涙を慌てて拭った。
どうしたのかというとなんでもないと笑う。
そうしていると後ろから声が飛んできた。

「さっさと白状しろよタカミヤ。お前なんだろ、給食費を盗んだの。」


司は驚いて声の方を眺めやる。そこには司より随分大きな生徒たちが4人いて、リコを睨みつけていた。

「違う、わたしじゃないよ・・。」
「お前以外に誰が居るっていうんだよ。」
「し、知らないよ・・。」

リコは一生懸命首を振る。瞳には新たな涙が滲んでいたが、それでも司をかばうように一歩前に出た。
「絶対タカミヤだよ。」
「なあ。だってお前んちアレだし。」

司はぽかんとそのやりとりを眺めていた。「タカミヤ」というのがお姉ちゃんの「みょうじ」というやつだということはわかる。
目の前のお兄ちゃんたちは「タカミヤ」が「キュウショクヒ」を「盗んだ」と言った。
「キュウショクヒ」というのがなんなのか小学1年生の司にはさっぱり分からなかったが、それでも「盗む」という言葉の意味は知っていた。
だから司は声を張り上げた。
「お姉ちゃんはそんなことしてないよ!」
目の前のリコがびくりとする。
司は構わずにリコの前に出た。そうして顔を上げ、嫌なことを言う上級生を睨みつける。
男子生徒たちはそこでようやく司の存在に気がついたようだった。
小さな子供に一斉に視線が突き刺さる。
「なんなんだよこのチビ。」
「どけよ。おれらはそいつに話があるんだ。」
「お姉ちゃんは盗みなんてしてないよ!」
司は再度叫んだ。
リコははじめて会ったときから優しかった。
寝る前に本を読んでくれたり、一緒に手を繋いでおつかいに行ったりしてくれる。
転んで泣いていたらおんぶして帰ってくれたことだってある。
司はリコのことが大好きだった。
「お姉ちゃんに謝れ!」
「うるせえ!」
怒号と共に、目の前の男子生徒が司を突き飛ばした。
小さな身体はあっけなく傾ぎ、うしろにこてんと倒れこむ。
「つ、司くん!」
「泥棒をかばう奴も泥棒だ!」
「どろぼうなんかじゃない!」
「なんだよ、お前知らないのか。」
その言葉に司を助け起こしていたリコの顔が目に見えて強張る。
しかし司は気づかなかった。
「なにをだよ!」
「タカミヤの父親はジサツしたんだぜ。」
「?」
司はきょとんとする。リコはそれを見て、泣きそうな顔で立ち上がった。
「やめて・・。」
「ニュースで言ってたじゃないか。海に飛び込んで死んだんだよ。」
「・・・・死・・?」
「借金まみれだったんだってさ。かっこ悪い。借りたものは働いて返せってんだ。」
「本当だよな。」
「大人のクセに。」
「まともに働いてたら借金なんかするはずがないんだ。ジゴウジトクだよ。」

誇らしげに背の高い少年は笑う。そうして真っ青のまま立ち尽くすリコと、座り込んだままの司を馬鹿にしたような瞳で眺めやった。


「シャッキンまみれで高宮は貧乏なんだ。だから、高宮が給食費をとったに決まってる。ほら、さっさと白状しろよ!」







高宮梨子










リコは昔から泣き虫だった。
学校でいじめられて、公園でこっそり泣いていたのを司は知っている。
けれども家に帰る時はいつも笑顔で、泣き言ひとついうことはなかった。
両親の言うこともよく聞いていたし、司の面倒だってよくみてくれていたように思う。


「司くん。」
母親に叱られて家を飛び出した司を一番にみつけてくれるのもいつもリコだった。
「良かったあ・・。みつかった・・。」
どこをどう探していたのかリコは泥だらけだった。
そうしてあちこちに葉っぱをつけたままふんにゃりと笑う。
「良かったあ・・司くん。皆が心配してるよ。帰ろう?」
河川敷の橋の下。
そこで膝を抱えていた司は驚き、そうして次の瞬間には泣きたいほどの安堵感に包まれたことを覚えている。


けれどあの時。
15歳になったリコは出て行ってしまった。
司を置いて出て行った。

「どうしてお姉ちゃんは寮に入るの?」
リコは困ったような顔をして、ダンボールの中に教科書を入れていた手を止めた。
リコに与えられていた部屋はもはやがらんとしていて、空気がすかすかと通り抜けるかのようだった。
「・・え、ええとね、わたしね、光陵高校にしか受からなかったの。それでね、光陵高校って遠いでしょう。だから。」
「ここから通えばいいよ。同じクラスの奴のお姉ちゃんだって光陵高校に家から通ってるっていってたよ。」
「で、でもわたし、朝が弱いし・・。」
リコは困ったように言葉を紡ぐ。
中学3年生のリコが受けたのは、ここから片道1時間30分ほどの場所にある都会の女子高だった。
・・そこ「だけ」だった。
司は姉の前に座り込む。司はもう10歳だ。
リコにべたべた甘えるなどもう無かったけれど、それでもやはり、小さな頃と同じように姉のことは好きだった。
「お姉ちゃん。」
「な、なに?」
「・・お父さんもお母さんもお姉ちゃんのこと嫌ってなんかないよ?」
リコは息を飲んだ。司はかまわず続ける。
「本当だよ。だから、お姉ちゃんが出て行くことなんてないんだよ?」
司は司なりに一生懸命だった。
リコが並々ならぬ事情を抱えてここにやってきたことは知っている。そうしてリコを置いてその父親が亡くなってしまったことも。

それからしばらくして司の父親はリコを正式に引き取ることに決めた。しかし養子縁組を勧める両親の申し出を断ったのはリコの方だった。
「どうして?」
司はそのときもリコに聞いた。不思議でならなかった。
そのほうが本当の「家族」になれるのに、どうして。
司の問いに、そのときのリコも泣きそうな顔のまま困ったように首を傾けた。


司は思ったのだ。
何故リコが出て行くのか。どうすれば出て行かなくてすむのか。
「だから・・。」
必死で説得を続ける弟を見て、リコはあわてたように口を開いた。
「ち、違うの司くん・・!」
「え?」
「おじさんやおばさんや司くんがとても良くしてくれているのはわかってるの。本当に本当に有難く思っているの。」
「なら・・。」
「でもね、やっぱり駄目なの。」
「なんで!」
「・・決めたの。」
きっぱりとリコは言った。司は愕然とする。
この姉はふにゃふにゃしているように見えて一度決めたことを簡単に揺るがすような性格ではないことを、今まで一番長く側にいた司は知っていた。
「ごめんね・・司くん。」
「なんでだよ!お姉ちゃん、理由を教えてよ!」
「・・・。」
リコはそっと目を逸らした。話は終わったとばかりに引越しの準備を進めだす。
「お姉ちゃん!」
リコは答えなかった。黙々と作業を進める背中は司にこれ以上話しかけるなと告げているかのようで胸が詰まった。
完全なる拒絶。
はじめてのリコの態度に悲しさがこみ上げてきた。
「・・お姉ちゃんの馬鹿・・。」
「・・。」
司はリコの背中を睨み付ける。
悔しくて、悲しくてならなかった。
だから10歳の子供は、その感情のままに叫んで踵を返したのだ。
「お姉ちゃんなんて大嫌いだ!・・二度と・・二度とここに帰ってくるな!!」





司はそれからリコとは口をきかなかった。
リコが引っ越す時だって、見送りになんて出てやらなかった。
リコが少ない引越し荷物を持って子供部屋の前に立ったのも知っていたけど、顔も出してやらなかった。
リコは遠慮がちにノックをして、そうして小さくつぶやいた。
「司くん・・今まで本当に、本当にありがとう。」
司は答えなかった。
「わたし司くんのお姉ちゃんで良かった。本当に、本当にありがとう・・。」
司はやはり答えなかった。広げている本に目を落としたまま、ただじっとしていた。
「司くんはわたしのこと嫌いかも知れないけど・・。」
窓の下で車の音がする。リコのか細い声がかき消されそうだった。
「わ、わたしはずっと大好きだから・・。」
ドアの向こうの声が震えた。泣いているのだ。司にはわかった。
「勝手でごめんね。でも・・だ、・大好きで、いさせてね・・。」




そうしてリコは一度として帰ってこなかった。
盆も。
正月にも。

帰ってきたのは「ここ」が無くなってから。




・・・司がすべてを無くしてからのことだった。










高宮梨子








「僕の太陽:15」に続く





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