「僕の太陽:12」

<禁じられた感情>





リコはずるずると壁にもたれたまま座り込んだ。
めまいがして、心臓が苦しい。
「・・あれ・・?」
こんなことは初めてだった。
「どうしたんだろう・・わたし・・。」
壁にもたれて息を整える。
「司くんが・・わたしの名前を呼んだだけなのに・・・。」

弟の声が脳裏に蘇った。
自嘲するように紡がれた言葉。
・・・そうだろう?・・梨子。


「・・わからないよ・・司くん・・。」

リコには司の言いたいことの半分もわからなかった。
意味こそわからないが、それでもひどい違和感を感じた。
司は自分の弟だ。だから、今まで自分のことを名前でなんて呼んだことがなかった。
お姉ちゃん。
姉さん。
実に正しい固有名詞で自分のことを呼んでくれていた。
だから・・なのだろうか。
この違和感は、単に「慣れない」からなのだろうか。
リコは自分の身体を抱きしめた。
ともすれば震えそうになる身体にさらに戸惑う。
めまいがするほどの違和感。
そうして・・「恐怖」。

「どうして・・。」
リコは震える声でつぶやく。
怖い。
怖い。
・・・司くん、が?


「どうして・・・。」


その声は誰も居ない小さな部屋にがらんと響いた。








禁じられた感情











「犬丸君、さっきの人・・お姉さん、だよね・・?」
おずおずと切り出された声に司は振り向いた。
気がつくとあかりは数歩後ろで立ち止まっている。困ったような表情を浮かべたまま、じっと司を見ていた。
「ああ。」
「昨日も会った人、だよね・・。」
「・・ああ。」
「・・・赤の他人だって、昨日言ったよね・・。」
「・・ああ、他人だよ。血は繋がっていない。」
「・・・他、人・・。」
あかりは俯いた。その悲しげな仕草に司は首を傾げる。
まったく、この少女は一体自分の何処を好きになったというのだろう。
こんなどうしようもなくくだらない男の、一体、何処を。

「おい、日比谷は真面目なんだかんな。あんまり可哀想なことはすんなよ。」


神崎の言葉が蘇る。
ああ、そのとおりだ。司は思った。
だから身体ごと振り返り、あかりの前に立つ。そうして言った。
「・・日比谷。このあいだのことなんだが、やはり辞めにしたほうが・・。」
「犬丸君は、お姉さんのことが、好きなの・・?」
あかりはぽつりとつぶやいた。俯いたまま、その表情を伺うことはできない。
その言葉に司は一瞬だけその端正な顔を強張らせた。しかしすぐに冷静な表情に戻り、少女を見下ろす。
「日比谷には関係のないことだろう。」
「・・・。わたし、知ってた。」
あかりは俯いたままさらに続けた。
「本当は知っていたの。あの人のこと。お姉さんだってことも。」
コンビニ、と続けるあかりの鞄を持つ手は震えていた。声だって震えかけている。震えるのを必死に抑えている。
「駅前にコンビ二があるでしょう。犬丸君がほとんど毎日、0時に行くコンビニ。」
「・・・。」
「あそこがね、あたしの家なの。犬丸君はあの人の・・お姉さんの迎えに毎日来ていたでしょう・・?お姉さんは、背の高い男の人といつも一緒だったけど・・。」
司は顔をしかめた。
「迎えに行っていたわけじゃない。」
「・・犬丸君はお姉さんが誰かと一緒だったらそのまま声もかけなかったけど・・お姉さんが一人の時は偶然を装って声をかけてた。」
「・・・・。」
「あたしの部屋から店の前の道路がみえるの。窓を開けていると声だって聞こえてくる。それで、犬丸君が迎えに来ているのがお姉さんなのも知ってた。
隠しているみたいだったけど、犬丸君はお姉さんのこと心配でいつも店に来ていたんでしょう?すごく仲のいい姉弟なんだなあって、いいなあって、気になってた。」
「・・・。」
「お姉さん思いの優しい人なんだなあって・・。学校では無口でクールで、ほんの少し怖く見えるけど本当はすごく優しいんだなあって・・。」
「・・・。」
「けど、お姉さんじゃなかったんだね・・。」
あかりは苦しそうに息を吐く。そうして苦い笑みを浮かべたようだった。
「・・あたしもずっと犬丸君のこと見てたの。ずっと、気になっていたの。・・昔から。だから・・ああ、“あいかわらず”優しい人だなあって。そう思った。だから、だからそう簡単にあきらめきれなかったの・・。」
司は俯いたままのあかりを見下ろしたまま動けなかった。
優しい、という言葉に違和感を感じる。
そんなことは断じてない。自分はどこまでも自分勝手だ。
だからこそ今だってあかりを傷つけている。



「・・犬丸君はお姉さんのこと、好き、なんでしょう・・?」
あかりは顔を上げた。
司をまっすぐに見つめて、その唇をかみしめた。
司はその視線を受け止めた。真っ向から受け止め、そうして苦く笑う。
あかりもリコもまっすぐだ。
揺らいでいるのは、不安定なのは自分ひとりだけ。
それがひどく情けなかった。

「・・俺は弟だ。」
だからこそリコは全力で自分を養ってくれた。
まるでそれが義務であるかのように。生きていく糧でもあるかのように。
それでも自分は嬉しかった。
リコだけは離れない。いなくならない。自分と一緒に居てくれる。
けれど、理由はそれだけではなかった。
ほんの小さなころから感じていたこと。
リコは昔から鈍くさくて馬鹿だった。
しかしいつだって一生懸命だった。
泣き言も、悲観めいたことも、愚痴さえも言わない。ましてや他人のことを悪く言うこともなかった。
徹底的に「いい子」であろうとしていた。
それほどまでに愚かな人間だった。
だが、と司は思う。

・・だからこそその感情が芽生えた。


気づくのに時間はかからなかった。ただ認めたくなかった。それだけだ。
だからこそ苛立った。
リコは決して自分を見ない。見ようとはしない。
その真実に憤った。
こんなやつ、大嫌いだ。
そう思うと幾分気持ちが落ち着いた。
そう思わなければやっていけない。そう思った。

「弟でなきゃいけないんだよ。」
司は思う。
弟でなければならない。
だからこそ分かっていた。

リコのためを思うなら答えはたったひとつ。



・・・俺は梨子に「恋愛感情」などというものを抱いてはならない。




きっと・・本当の姉弟以上に。









禁じられた感情








「僕の太陽:13」に続く





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