「或るあやかしの嫁取り」

或るあやかしの嫁取り8






目が覚めたとき、こどもの前には金色の猫が座っておりました。
夢の中の猫と同じ色の毛並みです。
そして金色の人のことも思いました。
夢に出てきた少年も同じような金色の髪の毛をしておりました。

猫がどこか心配そうにぶにゃあと声をあげます。
こどもはそこではじめて、自分が涙を零していることに気が付きました。

「ねこさん……」

たまらずこどもは目の前の猫を抱きしめました。ぽろぽろと零れる涙が、その金色の毛並みの上を流れます。
猫は一瞬びっくりしたようでしたが、それでもおとなしくこどもに抱かれてくれました。






或るあやかしの嫁取8









その夜も金色の人はやってきました。
泣き疲れて、いつしかうとうととしていたこどもは起き上がり、泣きはらした目元を拭いました。
そうして金色の人の髪や瞳をみつめます。何か言わなきゃと思うのですが、結局何も言えませんでした。

「何か嫌な夢でも見たのか? 」

金色のひとはこどもの前にやってくるといつものようにあぐらをかいて座りました。
黙ったまま、それでも必死に自分をみつめてくる子供をみとめ、そうして苦い笑みをほろりと落とします。

「猫は物の記憶の夢を呼ぶ。毛皮の上で寝てしまったおぬしは、なにやら悪い夢でも見えてしまったのではないか? 」

こどもはふるふると首を横に振りました。

「わるい夢ではありません」
「そうか」
「はい……」

こどもは頷き、わるい夢ではないのです、と繰り返しました。
悪い夢ではありません。それは本当のことでした。
けれども、ただただ寂しくて悲しい夢でした。
かいま見える感情は胸をぎゅうぎゅうに締め付けるほど切なくて、そうしてその夢の主がその感情をいまもなお持ち続けていることが痛いほどによくわかりました。

「ね、ねこさま……」

ようようにしてこどもが口を開くと、ただみっともなく震えた声が零れました。
その言葉に一瞬だけ、金色の人が瞳を瞠ります。
それはやはり金色の猫と同じ、きれいな青い瞳でした。

「ねこさま……」
「なんだ」

今度はあっさりと返事を返してくれた金色の人を見上げたまま、こどもは胸の前で両手を握りしめました。
ともすればまた涙が零れてきそうで、だから必死に唇を噛みしめます。
けれど何か言いたくて、言っておかなければならない気がして、だからこどもは必死に言葉を紡ぎました。

「わ、わたしは、あなたさまに出会えて本当に嬉しく思います」
「そうか」
「嬉しい。ただ、嬉しいのです」
「ああ」

こどもははじめて、語彙の乏しい自分をうらめしく思いました。
もっと言いたいことがあるのです。伝えたいことがあるはずなのですが、それはうまく形をとってくれませんでした。

「どうした。やはり何かあったのか? 」

優しい声にこどもは再び唇を噛みしめました。
金色の人はかすかに身をかがめます。そうして腕を伸ばし、こどもの頭を撫でてくれました。
こどもはその大きな手に自らの小さな手を重ねました。
そうしてその手を両手で包んで自分の額に引き寄せます。

さびしくて、悲しくて。
けれどもやさしい、やさしいあやかしさま。

こどもの瞳から涙が溢れます。
そうして同時に胸の中で溢れた言葉をそっと紡ぎ出しました。

「……生まれてきてくださって、ありがとうございます」

こどもの小さな手の中で、大きなてのひらが一瞬びくりと震えました。
こどもは知りませんでしたが、それは祈りにも似た行為でした。
その言葉はこどもの思いそのもので、今一番伝えたいことでありました。

「ここに生きていてくださって、ありがとうございます」

金色の人は、何も言いませんでした。
ただ静かに、ぽろぽろと涙を零すこどもをみつめておりました。



それからふたりの関係はほんの少しだけ変わりました。
金色のひとが時折、ひどく真剣なまなざしでこどもをみつめるようになったのです。
それはまっすぐできれいで、それでいてどこか自分でも納得していないような、憂いを帯びた不思議なまなざしでありました。
その不思議できれいな青い瞳でみつめられると、こどもの心臓は前にもましてどきどきとうるさく高鳴るのでした。

そのどきどきがさらにうるさくなるのは、金色のひとが腕を伸ばしてくるときでした。膝の上に抱え上げられ、ぎゅうと抱きしめられると自分でもどうにもできないくらい息が苦しくなるのです。
以前までは膝の上でもずっとお話をしてくれていたのですが、最近はただじいっとそうしていることも多くなりました。
胸は苦しいし頬は熱を持ってきてぼうっとしますが、そんな時間はとても穏やかで、ただただやさしい時間のようにも思えました。
思えばお昼間も同じように寄り添っているのですが、夜の金色のひとはこどもよりも身体が大きくなる分、すっぽりとこどもを抱え込みます。
抱え込まれたままこっそりとお顔を盗み見ると、金色の長いまつげに覆われた青い瞳は何かを考え込むような、いろいろな感情の混ざったような、深い深い憂いをおびておりました。

「ね、ねこさま」
「うん? 」

あるとき、こどもはたまらなくなって尋ねました。

「何か悩み事でもあるのですか」

ほんの少し不思議そうなお顔をする金色のひとを見上げて、こどもはそっと両手を胸の前で組みました。

「わ、わたしがなにかおかしなことでも申しましたでしょうか」

金色のひとはその青い瞳をわずかに瞠りました。
そうしてじっと子供をみつめます。
しばらくふたりはそうやって見つめ合っておりましたが、やがて金色のひとがその腕を伸ばしてきました。
そうしてあっさりとその腕の中に閉じ込められます。
ぎゅうと抱きしめられながら、こどもは耳元でつぶやかれる声を聞きました。

「ああ、言った」

こどもはどきりとして口を開こうとしました。
おかしなことを言ったのなら、それで金色のひとが悩まれているなら謝らなければなりません。
しかしそれはより強くなる腕の力にさえぎられて叶いませんでした。
金色のひとの熱い吐息がこどもの耳をかすめます。

「そうか。……だからわしはこんなにも苦しいのだな」

その声はあまりにも切なくて苦しくて、その声音だけでこどもは泣いてしまいそうになりました。




そうして次の日のことです。
現れた人影にぱっと笑顔を浮かべてかけよろうとしたこどもに向かって、金色のひとはこう言いました。

「明日、ここを去ろうと思う」
「……え」

こどもはひたりとその足を止めました。
全身からさあっと血の気がひきます。
真っ青になった顔をあげると、金色のひとのきれいな顔が優しく微笑んでおりました。

「いままで世話になったな」

こどもはしばらく呆然としておりましたが、やがてふるふると首を横に振りました。
行かないでと言いたい気持ちをぐうっと抑え込みます。
なぜならこのひとは自由なあやかしだからです。どこへでも行ける存在なのです。
そしてなにより、夢のなかのことを思い出すと何も言えませんでした。
あのときの喪失感と寂しさは今も目の前のひとのなかにはあり続けているのです。
だからこそこのひとはあれ以来「定住の地」というものを作らないのでしょう。
定住地への思いが深ければ深いほど、それは再び強い喪失感とさびしさを生むことになるのですから。

だからこそ、このあやかしに向かって行かないでとは言ってはいけないのです。

こどもはだから一生懸命笑ってみせました。
精いっぱいのものでしたので、うまく笑えているかわかりませんでしたけど。

「……わたしのほうこそ、ありがとうございました」

みつゆびをついて頭を下げるこどもを見て、金色のひとは優しげにその瞳を細めます。
そうしてそっとこどもを抱き寄せると、そのままゆったりと腕の中に閉じ込めました。
その胸にことんと頭を預けると、長いきれいな指がこどもの髪をやさしく梳いてくれました。
この行為も最後なのでしょう。
それを思うと喉の奥からぐうっとしたものがせりあがってきました。


「おぬしはいろいろなことを知りたがっていたな」
「はい……」

こどもは涙をこらえながら頷きます。
すると金色のひとは、こどもの両のまぶたを片手でそっと抑えるとこう言いました。

「……では最後に、はじめにおぬしが一番知りたがっていたものをみせてやろう」

こどもはこくりと頷きました。
金色のひとの優しい声が、閉ざされた視界の中でゆっくり染み渡ります。


「この土地の記憶。おぬしが、ここに居る理由を」






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2012・3・11










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