ヴラッドレン・イェルチン |
「……そうか。兄さんはここで14年も……」 ヴラッドレン=イェルチンは岩肌に刻まれた文字を読んでつぶやいた。 それは14年もの間、一人の男が刻み続けた日記だった。 ヴラッドレンは息を吐く。目を使い続けたせいでこめかみが軽く疼いた。 そこを押さえ、ついでに額にかかる赤い髪をかきあげる。 長い航海でさらに赤みがかったように見えるそれは、記憶の底に残る、優しかった兄の髪の色とよく似ていた。 「…たぶん、ぼくは一足遅かったんだな」 ヴラッドレンは傍らに目を落とす。そこには黒髪の娘が青い花を大切そうに抱えて立っていた。 彼の姿を見て以来、この娘はヴラッドレンの側を離れようとはしない。 鳥の雛のようにくっついてくる娘の黒い瞳は、ひたすらヴラッドレンだけをうつしこんでいた。 「で、君が兄さんの日記にある愛しき人ってわけだね」 返事は返って来ない。娘はどうやらこの土地の民族であるようだから、言葉が通じないのは当然なのかもしれなかった。 少女はただ、ヴラッドレンをみつめている。 思わずヴラッドレンは微笑んだ。 「そんなに異国人が珍しい? ぼくの国では別に赤毛はそんなにめずらしいわけじゃないんだけど」 「……」 娘はやはり答えない。 しかし、ヴラッドレンの笑顔を認めてはじめて、心の底から嬉しそうに微笑んだ。 黒い瞳から涙が零れ落ちる。それはひどく尊く、きれいなものに思えた。 ああ、とヴラッドレンは苦笑する。 「……なるほど。もしかしてぼくをイヴァン兄さんと間違えているのかな。兄さんが生き返ったと思ってる? ……まあいいや。君には兄さんが世話になったみたいだし……」 「ぼくと、一緒に来るかい? 」 2010・1・16 2010・8・27改稿 戻る |