■クリスマス・パレード■






クリスマスの意味なら分かっているつもりだった。
だけれど、と希望はその本を見ながら思った。
クリスマスの日の挨拶。
共に過ごす、大切な人に伝える言葉。


世の中には自分の知らないことが、本当に沢山ある。


クリスマス・パレード






祖父が亡くなって一ヶ月半が経ち、新しい住まいにも随分慣れた。
新しい住まいは今まで住んでいた家に比べてとんでもなく狭く、とんでもなく日当たりの悪いアパートだった。
それでも子供の環境適応能力とは高いもので、8歳の子供はすっかりそのアパートに馴染んでしまっていた。
いくら狭くても、立て付けの悪い壁の隙間から冷たい空気が洩れてこようとも、このアパートが子供の帰る家であったのだ。



「あんな、希望。」
その狭い部屋で、子供の後見人となった青年が困ったように切り出したのは12月20日のことだった。
「クリスマスイブな・・なんとかならんもんかと思ったんやけど、どうしても休みが取れへんかってん。」
「・・?別にかまわんが・・?」
希望は怪訝そうにつぶやいた。
青年の仕事は二交代制というやつで、夜遅くまで帰ってこれないことも多い。
だからこの部屋で一人で居ることはあたりまえだったし、それでどうして青年が謝ることになるのかも、さっぱりわからなかった。
「うう・・・でもなあ・・。」
青年はううん、と唸った。
「クリスマスイブってのはな、家族で過ごすもんやねん。家族でケーキとな、鶏肉を食べるもんやねん。」
「はあ・・・?ケーキと鶏肉などいつでも食べれるだろう?」
「・・・・いや、そういうことじゃあなくてな・・。」
青年は頭をかきむしりながらさらに唸っている。
希望はさらに怪訝そうな表情を浮かべて青年を見上げた。
「阿呆なことを言ってないできちんと仕事をやってこい。クリスマスという日はお前のところはものすごく忙しいのだろう?」
「まあ、なあ・・。」
フランス料理店でシェフをしている青年は唸りながら盛大に息を吐いた。
「・・・ごめんな、希望。なるだけ早く帰ってくるさかい。12時・・くらいになると思うんやけど・・。」
「だから、別にかまわないと言っている。」
希望はこくりと頷いた。
子供はこれまで「クリスマス」など意識したこともなかったし、おこなったこともなかったのだ。
だから何故、この青年がその行事にこだわるのかもさっぱり理解できなかった。
「・・・なあお前、まさかクリスマスっちゅうもんをしたことがないとか?」
あまりに淡白な反応をする子供に向かって、今度は青年が怪訝そうな顔をして見せた。
「・・・クリスマスをする、というのが良くわからない。」
希望はいっそう眉をひそめた。
「クリスマスはキリストとやらの誕生日だろう?それを祝うのか?それは確かにおこなったことなどないが・・・。」
「いやそういうことじゃなくてやな。」
吾郎は苦笑を洩らした。
「サンタクロース、とか・・いや、せやなあ。あの師匠がクリスマスをするはずがないわな。今まで俺もこの時期忙しくて気にもしてへんかったけど・・。」
「・・・。」
「そうか、お前にとってはじめてのクリスマスになるんやな。そりゃあ盛大に・・って行きたいところやけど俺は仕事やしなあ・・・。」
再びため息をつき始めた青年をまじまじと眺めて、希望は内心首を傾げていた。



「クリスマス」をする、とは一体どういうことなのだろう。





24日になり、吾郎は朝から慌しく出かけていった。
「眠くなったら寝とくんやで。明日、ケーキと鶏肉食べような。」



22日から小学生は冬休みに入っている。
希望は図書館に行き、そこで「クリスマス」に関する本を読んでみることにした。
そこでわかったことは、「クリスマス」が単なるキリストの誕生祭ではないらしいということと、パーティをしたりすることと、サンタクロースという人物が「良い子」のところにプレゼントを届けてくれるということであった。

希望は正直驚いていた。
なるほど「クリスマス」にはこういうことがあったのか、と思った。
12月に入ると街が急にぴかぴかした飾りで彩られるのも、クラスメイトが急にそわそわしているのもそのせいだったのだろう。
それにしても、と希望は本に描かれているサンタクロースの絵を眺めながら思った。
自分のところにこの「サンタ」とやらは来たことはない。
「・・・・。」
どうやら自分は「良い子」の範疇ではないのだな、と希望は結論付けた。
まだまだ精進せねばならない。
重い気分で本を閉じる。
今年も来ないのだろうな、とほんの少しだけ残念に思った。

・・・・祖父を救えなかった自分は、決して「良い人間」ではないのだから。



次の本を開いたところで、希望は目を見開いた。
クリスマスの日には、特有の挨拶があるのだとそこには書いてあった。
通常、聖なる夜は大切な家族や友人と過ごすものであるらしい。
そして、そのときに「大切な人たち」に告げる言葉があるのだとそこには書いてあった。
「・・・・。」



帰り道、クラスメイトに出会った。
優しそうな母親と一緒に居た少女は、にこにこしながら大きなケーキの箱を持っている。
「クリスマスケーキなの。すごいでしょ?ママがね、ヨヤクしていたんだって。取りに行ってきたんだよ!」
それでね、と少女は笑う。
「帰ってね、ママがチキンを焼いてくれるの!希望ちゃんは?」
「いや、私は・・・。」
別に何もするつもりもないことを告げると、少女の母親がかすかに表情を変えた。
「そう・・・あなた、藤堂希望ちゃんね・・。話は聞いたことがあるわ。そう・・ご両親もおじい様も・・。かわいそうに・・・。そうだわ、よければうちに来て一緒にパーティをしたらどうかしら?お兄さんも遅いのなら、ぜひ。ね?」
「そうだよ、希望ちゃん。おいでよ!」
希望は首を振った。
「遠慮なんてしないで。だって、ひとりきりなんて寂しいでしょう?」
二人はさらに誘ってくれたが、希望は再度首を振ってみせた。
なぜなら子供は自分のことをかわいそうだとは思ってはいなかったからだ。
それに、と希望は思った。
吾郎は帰ってくると言ったのだ。遅くなるけど帰ってくる、と。
ならば自分は待っていなければならない。
何故かだなんてわからなかったが、子供は漠然とそう思っていた。


夜になると雪が降ってきた。
吾郎が作ってくれていた夕食をレンジで温めている頃には、外の風景は一変していた。
窓から見える灰色の壁や、路上に止めてある車の屋根にうっすらと白いものが降り積もっている。
「・・・ああ、雪だ・・。」
どこからか、楽しそうな歌声や話し声が聞こえてくる。
ああ、また2階のダイガクセイだな、と希望は思った。
2階に住んでいるダイガクセイはよく友人たちとノミカイとやらをしており、騒いでは大家にこっぴどく叱られているのだ。
「・・・。」
希望は部屋の中を見渡した。
何故だか急に狭いはずの部屋が広く見えて、それを不思議に思った。
しんとした、静かな部屋。


・・・だって、ひとりきりなんて寂しいでしょう・・?



ふいにその言葉を思い出して、希望は広く見える部屋をぼうっと見やった。
寂しい・・・?



そのときチン、とレンジが希望を呼んだ。
あわてて扉を開けると、食欲をそそる良い匂いが部屋に立ち込めた。
言ったことなどなかったが、希望は吾郎の料理が好きだった。
吾郎は朝ごはんを食べた後、必ず希望のための昼食や夕食を作って冷蔵庫に入れておいてくれている。
それは希望が毎日奮闘しながら作っている朝食よりはるかにおいしく、はるかに綺麗だった。乏しい食材の中からどうしてこんなものが出来るのかというほど、希望の目にはそれは立派なものに見えていた。

本日、吾郎が用意していたのは希望の好きなものばかりだった。
昼食はいかの煮物。そして夕食は和風のハンバーグ。
「・・・。」

昨日からまるで叱られたハスキー犬のようにしょんぼりしていた青年のことを思い出して、子供は小さく頬を緩めた。
きっと希望の好物ばかりの食事は、吾郎なりの精一杯の気遣いなのだろう。
そう思うとなんだか胸の奥が、手にしている料理と同じように暖かくなった。
ほんの少し前まで胸の奥にあった重いものが溶けていくようにも感じた。
寂しい、という感情もどこかに消え去ってしまったようだった。





しんしんと雪は降る。





希望はこたつに入ってうとうとしていたが、時計の針が11時を指したのを見て起き上がった。
図書館で借りてきた本を再度眺めて、口の中で「その言葉」を練習してみる。
クリスマスの日の挨拶。
希望は本を閉じると、外に出る準備を始めた。
こんな夜遅くに外に出ることなど初めてだったが、コートを着て、マフラーと手袋をはめると雪の降りしきる道路へと足を踏み出した。



外はすっかり白いものに覆われていた。
黒々とした夜空からふわふわした大きな雪の粒が落ちてくる様はとても綺麗に見えた。
街灯と、アパートから洩れてくる部屋の明かりで道路は暗くはない。
希望はしばらくアパートの前の道路に立って空を眺めていた。



どのくらい経ったのだろう。
新雪を踏みしめる盛大な足音が駅の方角から響いてきた。
次いでぜいぜいという激しい息遣い。



希望は顔をあげた。
街灯の下、雪のうさぎをつくっている自分の姿をみて唖然としている吾郎の姿が見えた。



青年の頬は真っ赤で、これでもかと言うほど息を切らしている。
肩で大きく息をしながら、駅から全力疾走してきた青年はあれ、とまぬけな声をあげた。
「・・お前・・こんな遅くになにしてんねん・・。」
「・・・別に。」
青年は大きく息を吐く。
「別にって・・あんなあ、子供がこないに遅くにひとりで出歩くなんて危ないやろ!」
「・・・すまない。」
希望は素直に謝った。
吾郎はめずらしく素直な子供を見下ろして、目をぱちぱちとさせた。
「・・・ええと・・雪で遊びたかったん?」
希望は立ち上がって、コートについた雪を払った。
子供の足元にはいくつもの丸いカタマリが並んでいる。
「・・・。」
子供は答えなかった。
吾郎は大きく息をつき、なんとかはずむ息を整えた。
そうして子供を見下ろすと、子供の頭の上に白いものが降り積もっているのが見えた。
どのくらい長い間、外に居たのだろう。
吾郎は手を伸ばした。
そうして希望の頭に降り積もった雪を払ってやりながら笑って見せた。
「まあええわ。遅うなってごめんな。さ、帰ろか。」
「・・・。」
「ほれ。」
吾郎は手のひらを差し出した。
子供はその手をじっと見やったが、しかしすぐに顔をそらすと玄関の方にかけていってしまった。
「う・・・まったく可愛いないガキやなあ。」
吾郎は行き場のない手をひっこめると、ぶちぶちとつぶやきながら希望の後を追った。
白い吐息が夜に溶ける。





アパートの共同玄関に向かうと、玄関の中で希望が待っていた。
蛍光灯がちかちかと瞬いている。
寒さのためだろう。
子供特有の、いかにも柔らかそうな頬が真っ赤になっているのがひかりの下でよく見えた。
「オイオイ、お前大丈夫か?寒いやろ?」
心配そうな顔をした吾郎が入ってきた瞬間に、希望は相変わらずの愛想のない顔でぼそりとつぶやいた。
「吾郎。」
「うん?」
「・・・メ・・。」
「め?」
「・・メリー、クリスマス・・・。」





それだけ言うと、希望はさっと身をひるがえした。
吾郎はしばらくぽかんとしていたが、やがてその頬を笑みの形に緩ませた。



そうして1分後。
子供を追いかけて部屋に戻った青年は、「大切な家族」に満面の笑みでこう返すのだ。


「メリークリスマス!希望!」








次の日。
不器用な子供のもとに本当にサンタクロースが現れたかどうかは・・・・。





・・・・・・・・それはまた、別の話。







その言葉を伝えるために











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