■あかいたからもの■




「祭」、というものがどういうものなのかその子供はよく知らなかった。
ときどき神社で笛の音や太鼓の音が聞こえたり、道行く人々が着物のようなものを着ているのを見かけてはいたが、それが「祭」だということは知らなかったのだ。


着物のようなものを着た人々はみんな楽しそうに歩いていた。
道行く子供たちは頭に仮面のようなものを被って、手には丸い水風船のようなものを持っていたり、赤い魚の入った袋を持ったりもしていた。
下駄をカラコロと鳴らして境内へと上がっていく親子連れの姿は微笑ましく、それでいてなんだか変な気分がした。
手をつないでいる親子や、親の肩に乗っている子供たちを見ているとその気分はいっそう酷くなった。
心臓の辺りに鉛があるようなひどい気分。


そうして子供は、そんな自分が一番嫌だった。



あかいたからもの






なぜか重い気分で家に帰ると、祖父の弟子である青年が満面の笑みで待っていた。
そしてこう言った。
今日は祭りやねん、と。
そうか、と言った自分に向かってさらに笑って見せた。
こら、なに人事の顔をしとんねん。早く行こうや。

子供はきょとんとした。祭り、とつぶやくと何故か笑われた。
せやで、今日は坂上神社の夏祭りや。せやから行こうゆうとんねん。
青年は手を伸ばして、そうして子供の頭をかき混ぜた。




まずはちょいと寄るところがある、と青年がいうので子供は引きずられるようにそこに向かうことになった。
しかし稽古があるだろう、というと青年は盛大に笑った。
へっへっへっへ、大丈夫や、師匠の了解はとってあんねん。
本当は師匠も誘ったんやけどなあ、断られてしもうた。青年はそういって頭をかいた。



いらっしゃい、と言って迎えてくれたのは以前に一度だけ会ったことのある女性だった。そこで、みんなが着ていたような着物を着せられた。
これはね、着物じゃなくて浴衣って言うんだよ。
女性はそう言った。
そして帯を整えながらわたしのお下がりでごめんね、と言ったが、すぐに満足そうに笑った。
よかった。すごく良く似合ってる。ふふ、きっと吾郎くんびっくりするよ。


へえ〜、馬子にも衣装やな。
「浴衣」を着た子供を見て、青年はにこにこと笑った。
うん、よう似合っとるで。
子供は青年を見上げた。浴衣を見て、青年を見て、そうして小さく頷いた。
何故だか胸の奥にあった鉛がどんどんなくなっていくようだった。



カラコロと音のする下駄を履いて、子供は歩いた。
随分歩きにくかったけれど、そんなことどうでも良かった。
隣にいた青年は、境内に続く階段を上るときだけ子供の手をひいた。
放せ、大丈夫だ、と言うと可愛くないなあ〜といって肩をすくめた。
けれども手は放さなかった。

カラコロ、カラコロと音が響く。



いつもは殺風景な神社のあまりの豹変振りに、子供は目を見張った。
色とりどりのテントと、鮮やかな照明。
綺麗な柄の「浴衣」を着たたくさんの人たち。
テントはひとつひとつ区切られていてそれぞれが独立した店であるらしかった。
子供は小学校1年生だったので、その店々に掲げられている布に書かれている文字はある程度なら読むことが出来た。
やきそば、いかやき、フランクフルト。
ヨーヨーすくい、きんぎょすくい、くじびき。
青年は腕まくりをして、子供に笑いかけた。
よっしゃ、片っ端から行ってみようや。


そこで食べるものは、はじめて口にするものばかりだった。
ふわふわした白い食べ物を手渡されたときなんて本当に驚いた。
甘くてやわらかいそれは、口に入れるとすぐになくなってしまう。

どこからか聞こえる笛の音と太鼓の音。人々のざわめきに笑い声。
いつもならそれを聞くと、胸の奥の鉛が重くなっていくのに今日はまったく逆だった。
子供は何故だろうと思った。

とても、不思議だ。

いつのまにか鉛はすっかりなくなってしまっていた。



次はあれやな。
青年は両手にいろいろな食べ物を持ったまま赤いものがたくさん並んでいる店を指差した。
あれはうまいんやで。俺な、これをはじめて食べたとき日本人に生まれてよかった〜って心の底からおもったもんや。
りんごあめ、と布には書かれている。
りんご、と言うと青年は頷いた。
せやで。りんごを飴で固めてあんねん。外はぱりぱり、でもりんごはさっくりしとってな。もうそのハーモニーが絶妙なんや。


赤くてきらきらしていてとても綺麗なそれを、しかし何故だか子供は食べなかった。
手にしたままじっと眺めていて、ビニール袋さえ破ろうとしない。
食べへんのか、と青年が聞くと子供はこっくりと頷いた。



りんご飴を片手に持って歩いていると、わけもなく気分が良かった。境内に続く道に沿って並ぶ「屋台」は面白かった。
カラコロと歩いていると、ふいになんだか惹かれるものが目に飛び込んできた。
子供は足を止めた。
じっとそれを見ていると店先に立っていた男がお譲ちゃん、と子供に声をかけた。
綺麗だろう、どうだい一つ。
子供はまじまじとそれを見やった。
りんご飴も綺麗だったが、それもとても綺麗だった。


青年はいか焼きを齧っていたが、熱心にそれを見ている子供の姿を見ながらそれを飲み込んだ。頭の上からそれを覗き込み、そうしてへえ、と声をあげた。
子供はいつもの仏頂面のまま、それでもじっとそれを見ている。
その様はなんだかおかしかった。
いつもはその小さい身体で大の男を投げ飛ばすほど強いというのに。


青年は笑って少女が眺めているものを指差した。
おっちゃんコレひとつちょーだい。
へい毎度。


子供は顔をあげた。
青年はほれ、と子供にそれを手渡した。
子供は目をいっぱいに見開いた。
青年はいたずらっ子のように笑って見せる。
おもちゃとはいえこんなん女に渡したのははじめてや、と言いながらさらに笑った。




カラコロカラコロと下駄が鳴る。
幾分涼しくなった夜風を受けながら家路に向かう。


家に着くと、青年は祖父にあいさつをして帰っていった。また明日な、と笑って手を振った。


仏頂面の祖父に子供はおみやげを手渡した。
綺麗な綺麗な、赤い食べ物。
祖父の表情は変わらなかった。
けれども希望の着ていた浴衣を丁寧に畳んでくれた。
おかげで浴衣に散ったアサガオの模様が綺麗に見えた。



風呂に入って自分の布団にもぐりこむ前に、子供は青年にもらったものを指にはめてみた。

赤い石のついた、銀色の指輪。
子供はそれをじっと見つめた。
手をかざして、そうしてひっくり返して、また戻して。30分ほどそれを繰り返して。
そうしてそれをつけたまま布団にもぐりこんだ。


何故だか胸の奥がとても軽くて、ふわふわと暖かかった。



それは10年も前の、夏の日の物話。




りんご飴と指輪











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