■チェンジ ザ ワールド■









彼の世界は一瞬にして反転した。



気の弱そうな少年の姿から突き抜けるような青空へ。
そして青い空から赤茶けた地面へ。
そうして次の瞬間。
全身に激しい衝撃が走リ抜けた。
「…っ!」
胸が圧迫され、肺から空気が押し出される。
その苦しさに彼は思わず咳き込んだ。酸素を求めて喉がひゅうひゅうと鳴る。
―何が…起こった?
彼は混乱した頭で考えようとした。
ほんの一瞬前まで自分は立っていた。
立って、地べたに倒れこんだままの下級生の腹を蹴り上げようとしていた。
―そして…それから…?
咳き込みながらなんとか瞳を挙げる。
そうして少しばかり離れた場所に立つ2本の足を認め、その瞳を見開いた。

「な……」

細くて白い足だった。
真新しい上履きの色は小豆色。
それはその足の主が1年生だということを示している。
目線をあげると、今度は紺色のプリーツスカートが風にはためいているのが視界に入りこんできた。

「おん、な…?」


思わず洩れた言葉通り、彼を地面に叩きつけた相手はひとりの少女だった。
唖然として目を見開く彼を、少女は不機嫌そうに見下ろしている。
春の風が吹き、桜のはなびらが空に踊る。
そうして風は花びらと、その少女の柔らかそうな髪を舞い上げていった。

「…冷静に考えてみろ」

ふいに少女が口を開いた。
幼い顔立ちに似合わない、いかにも不機嫌そうな表情と声。
呆然とする彼の瞳から目線をそらさずに少女はこう、断言した。


「お前達のやっていることは格好が悪すぎる」




■チェンジ ザ ワールド■





「…そこをどけ」

藤堂希望は目の前の男子生徒をむっつりと見上げた。
「私には冗談につきあっている暇はない」
「じ、冗談じゃないッス!」
少女の言葉に男子生徒はあわてたように声を荒げる。
そうして姿勢を正し、自分より遥かに小さな下級生をみつめた。
「あれからいろいろ悩んだんです!でも、どうしてもアンタのことが忘れられなくて…お、俺…」
その視線は熱っぽかった。
いや、熱かった。
その瞳の奥に炎が燃え滾っているかのように熱かった。
「だ、だから頼みます…っっっ!!!」
男子生徒は叫びながら、いきなりその場に膝をついた。
そうしてその派手な色の髪に土が付くのにも一切頓着せず、実に見事な土下座を決めた。
「お願いしますっっ!俺を姐さんの弟子にしてくださいっっ!!」


―実につっこみどころ満載の「告白」であった。




「で、弟子…姐さんって姐さんって…ぶふっ!」
さすがに唖然とする少女の隣で、面白そうにその光景を眺めていた二ノ宮夏美は口元を引き結んでぶるぶると震えた。
なんという面白い光景なのだろう。
噴出しそうになる自分を必死に抑えながら思った。
先ほど、裏庭の掃除をしている自分達の前にいきなり1人の男子生徒が現れたときは正直驚いた。
何故なら、夏美にはその男子生徒に見覚えがあったからだ。

有名な不良グループの一人。
派手な色に染めた髪にピアス。
着崩した制服を着た上級生。

それは4月に、藤堂希望が「叱り飛ばした」不良グループのひとりだったのだ。





「ねえ、いとやん」
「なんだよ、ってか、いとやんいうな」
糸井光一は馴れ馴れしくかけられた声に、思い切り顔をしかめた。
「オレはお前より年上だろうが。糸井先輩と呼べよ。糸井先輩と」
「いいじゃんー。いいじゃんー。もう、そんなに心が狭いから藤堂は弟子にしてくれないんだよ」
「……うっ。それ、マジか…?」
糸井は思わず金色の頭を抱えて呻いた。
それを見て、目の前の無礼な下級生がげらげらと笑う。
「うっそー。あはは。いとやん弟子の話、本気の本気なんだねー!」
「お前なあ…」
糸井は盛大にため息をついた。
手を制服のポケットに伸ばしかけたが、そこに何もないことを思い出してさらに息を吐く。
それは「彼女」に出会って始めたことのひとつだった。
禁煙、三ヶ月目。


糸井が藤堂希望という下級生に、ある意味での「告白」をしてからすでに三ヶ月が経っていた。
実際、けんもほろろに断られた彼だったが、しかし簡単には諦めなかった。
しかし…「告白」五回目となる昨日のこと。
ほんの少し。
ほんの少しだけ変化があったことを糸井は思い出した。


「…何故」
糸井はぽかんと少女の顔を見上げた。
「お前は、わたしの弟子などになりたいのだ」
不機嫌そうな顔のまま、しかし相変わらず視線は迷いなく彼の瞳を射抜いている。
その綺麗な視線に、糸井は頭に血がのぼってくるのを感じた。
実際、傍から見るとゆでだこのように真っ赤になっているに違いがなかった。
「お、お、お、俺は…!」
「……」
希望は黙って彼の言葉を待っている。
糸井はぱくぱくと口を開いては閉じ、そうして言葉を飲み込むを繰り返した。
阿呆みたいにあがっている自分を意識し、さらに頭に血が上がる。
「ええと、あの、お、俺…」
「……」


夏の校庭は暑い。
じりじりと焼け付くような日差しの中で少女は辛抱強く答えを待っていた。
しかし10分後。
何も答えられない糸井の前で、その唇から小さな吐息を洩らした。
いくらなんでも呆れられたに違いない。
糸井はそう思い、がっくりと肩を落とした。
畜生と、歯を食いしばる。
いつだってそうなのだ。
肝心なときに役に立たない小心者。
何をしても、一つとしてうまくいったことなどなかったように思う。
「…もういい」
次いで発せられた希望の言葉に糸井はうなだれる。
そんな自分を変えたくてあんたの弟子になりたかったのだ、とは今更言えなかった。



そう。
彼の目にはあのときの彼女がたいそう格好よく映っていたのだ。
ほんの数ヶ月前まで自分は不良と呼ばれるグループの一員だった。
あの頃の自分は心身ともに荒んでいたように思う。
何もかもが嫌で、世界の誰もが敵だった。
仲間とは名ばかりの集団の中で、彼女の言葉を借りると「格好悪い」ことばかりしていた。



それがあの時。
いつものように気の弱そうな下級生を締め上げ、金を出させようとしたあの時。
少女は颯爽と現れた。
たった一人で現れ、倒れて呻いている下級生を囲む自分達に目を走らせ。
そうして一喝した。



投げ飛ばされて、「叱られて」。
そうして自分の世界は反転した。
外観だけではない。
そう、あのとき自分の世界のすべてが変わったのだと糸井は思う。。


しかし、と彼は肩を落とした。
これでは駄目だ。自分はいつまでも変わらない。
そのとき、再び目の前の少女が再度小さく吐息を洩らした。
「…?」
小さく身体を揺らしているようにも思えた。
思わず目を上げる。
すると少女が、唇の端をかすかに上げているのが目に入ってきた。
「……」



「なあ…お前、姐さんの笑顔を見たことがあるか?」
問われて、二ノ宮夏美はううんと首を捻る。
「ないなあ。え?なに?いとやん見たことがあるのっっ!?」
糸井は誇らしげに頷いた。
「ああ、まあな」
「うわあ、ずるい!どんなんだった?可愛かった?」
いや、と糸井は首を振った。
そうしてうっとりしたように遠い目を空に向ける。
「格好よかった」
「はあ?」
思わずぽかんとする夏美の目の前で、案外熱血な上級生はこぶしを固めた。
「高倉健とか、哀川翔とかみたいにニヒルな笑いだった…!」
糸井光一17歳。
実は任侠映画の熱狂的隠れファンだったりするのは秘密である。



糸井少年の挑戦は果敢にも続いていく。
そうして季節は流れ、空が高くなり風が冷たくなり始めた頃。
三十回にわたる来訪に辟易したのか、それとも彼の情熱に打たれたのかは不明だが、藤堂希望はこう言った。
「弟子は駄目だ」
しおしおと身体を縮める上級生をみやってさらにだが、と続けた。


「友人になら、喜んでなろう」








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2009.6.16改稿