■10秒弱の、偽りの■








彼はとてもよく似ていた。
髪の色も
瞳の色も
肌の色も
なにより、その気質が。
とてもよく似ていた。


だから思った。
ほんの一瞬。10秒弱。


ああ、こいつでもいいかもしれない。
すごくよく似ている。
ならば…こいつでもいい。
もう二度と会えないのなら、こいつでだって構わない。






10秒弱の、偽りの








眠り込んでいる幼馴染の顔は、やはり彼女にひどく似ていた。
数日前に母親を亡くし幾分やつれたその顔。
いきなり家にやってきて自分の布団を占拠した幼馴染。
薄い色の、光の加減によっては金色にすらみえる髪が無造作に顔に落ちていた。
切れ長の瞳を縁取る睫毛も淡い金色。
実は繊細な造りの顔立ちをしているのは眠っているときでないとわからない。
それほど起きている時のこの男の表情は豊かだった。
だからだろう。
起きているときよりも眠っているときの方が大人びて見える。その頬の線。
そんなところまでもが良く似ていた。


その顔を見ているといやおうなしに思い出すのは唯一人の顔だった。
自分の愛した、唯一人の女性。





立ち上がってその顔を眺めやる。
もう二度と会えない女性。
自分は彼女よりうんと年下で、いくら言葉を重ねても本気にされていなかったことは承知していた。
その上での、恋だった。


恋に落ちたのは10年前。
幼かった自分を抱きしめて笑った。
自分はそれまでそんな、剥き出しの愛情など受けたことがなかった。
だからひどく驚いたのを覚えている。
彼女は一風変わっていた。大人なのに、友達の母親なのに、まるでそうは見えなかった。
随分と若くて、あけっぴろげで、豪快な女性だった。
自分の子供に、そうしてその友人たちも同じように豪快に接していた。
彼女の拳骨を頭に受けたのは一度や二度ではない。
外見は細くてどこかハーフにも見える繊細そうな綺麗なものだったので、そのギャップには随分驚いたものだ。
当時の自分は7歳。彼女は23歳だった。
泣いていた自分を抱きしめて叱って、そうして最後に優しく微笑んだ。
その垣根なしの笑顔に心臓ごとをもっていかれた。
それが、10年も前のこと。


ぎしり。
ベッドが軋んだ。
その理由も知っている。
自分が幼馴染の顔の側に手をついたからだ。
もう会えない女性。
それに瓜二つの忘れ形見。

ああ、本当に似ている。
本当に。本当に。



それはほんの10秒にも満たない寂しさの出した幻想。




近づく顔を止めたのはそこにひとりの少女が入ってきたからだ。
中学校の制服に身を纏った少女は自分と、その下に居る友人の幼馴染だった。
少女は自分と目が合うと一瞬だけその足を止めた。
しかしその表情に変化はみられなかった。
いつものようなうったりとした微笑みを浮かべたまま、その空間に足を踏み入れる。
そうして口を開いた。
「キスしたの?」
「…してない」
「するところだった?」
「…ああ」
そう、と言って少女は頷く。
そのあまりにあっさりとした反応に拍子抜けした。
憑いていた何かが抜け落ちたような、そんな気分。
だからゆっくりと身体を起こした。
幼馴染はまだ起きない。ぐっすりと、気持ち良さそうに眠っている。
少女はその幼馴染を見て、そうしてやはりにっこりと笑んだ。
「…吾郎くん、おばさんが亡くなってから全然眠れてなかったみたいなの。
でも、今は眠れているみたいだね。良かった」
「そうか」
立ち上がり、勉強机の前にある椅子に腰掛けた。
鈍い音を立てて椅子は軋む。パイプがゆったりとたわんだ。
背後に視線を投げると、少女が幼馴染の身体に毛布をかけてやっているのが視界に入ってきた。
幼馴染のこの少女は自分達より2つも年下のくせに、時折ひどく大人びた態度を見せる。
今も、まさにそうだった。
眠り込んでいる幼馴染の頭を撫で、そうして自分に目を向ける。
少女の静かな瞳が、自分のそれをまっすぐにみつめた。
「あのね、私は別に男同士でもいいと思うよ」
「……」
「でも、本当の恋なら、だよ」
「……」
「誰かの代わりなんて駄目。それは、誰の為にもならないから」
見透かされて、思わず言葉を失った。
少女は微笑んだまま言葉を続ける。
「…吾郎くんは真理子さんに似てるけど…違うでしょう?」


―息子である彼は彼女の生き写しだけれど、それでも別の人間でしょう?




「…ああ」


右手で自分の顔を覆う。
するとその下を生ぬるいものが滑り落ちていくのを感じた。


「違うな」


葬儀からそれまで、一度も溢れることのなかった感情。
それが、今になってようやく流れ出た。



「わかってるよ…鈴」







10秒弱の、偽りの











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2009.5.4