「或るあやかしの嫁取り」頂きもの小説

マオ様より「その後」の頂き物小説




町と山村を繋ぐ、ちょうど中間。どちらに行くにも不便ではない程度の距離を置いた、閑かな場所に、その庵は、こっぽりと建っていました。
 庭先には手入れの行き届いた畑。軒下では鶏が身を寄せあって、こっここっこと鳴いています。少し離れた所には清い水の流れる小川があり、ここの住人は過も不足もない、ちょうどいい暮らしを送っていることが窺えます。
 晩秋の陽が溜まる縁側で、金色のあやかしは小春の膝を枕に横たわっています。
 この庵は元々は気の利いた夫婦が一組住んでいるのですが、金色のあやかしが術を使って、ほんの少しの間だけ夫婦に旅行に出て貰ったのでした。その間はこの庵は『在って無い存在』と、人間もあやかしも、誰もここには入ってこられないようにしているのでした。
「おぬしは律儀だの」
 金色のあやかしは、縫い物をする小春に声をかけました。小春は名前の通りの、暖かくふわりとした微笑を浮かべました。金色のあやかしは、いつもの通り自由さで、悪びれた風もないのですが、この庵を少しの間、貸して貰った、せめてもの御礼にと老夫婦にちょっとした着物を縫っているのです。
「もう少しだけ、お守りをお願いします」
 うん、と。金色のあやかしは応えて、小春の下腹に耳を当てます。
 聴こえる心の蔵の音は、ふたつ。小春のものと、丁度、金色のあやかしの耳が当たる腹の下あたりと。とくりとくりと、小さいけれど、生命が脈動する確かな音が金色のあやかしの内側にまで響いて聴こえてくるのです。
 不思議な気持ちでした。いつか小春に話した『猫の雄は子育てをしない』という言葉の通り、こんな時はどうしていいのか解らないものなのですが、胎の子は、今耳を欹てているのが金色のあやかしだと理解して……笑っているように感じられたのです。
「……『おにいさま』、には伝えていただけましたか?」
 縫い物の手を止めないままに、不意に訊ねた小春の柔らかい声は、胎を通して金色のあやかしの耳に滑り込んできます。
 かつては幼い小春を閉じ込めていた男。それでも小春は自分の子供が産まれることを、この世で唯一の血縁である『おにいさま』には伝えたかったのです。おかあさまがそうであったように、いとしいひとの子供を産む喜びを。
「『おにいさま』は元気にお過ごしでしたか?」
「……ああ」
 金色のあやかしは何気ない風を装って応えました。
 ですが金色のあやかしが訪れた、小春が元いた家は荒れ果てていて、住む者はもう無かったのです。町の人間たちの噂を掻き集めてみると、栄えていたその家はある日を境に急に傾いて、家人は全員、とても口では言い表せないような酸鼻を極める最期を迎えたという話でした。
 あの家に巣食っていた『ヤコ』が、とうとう家を食い潰し、終には人を食い潰した果てと、金色のあやかしには全てが理解できます。しかし小春には、それを伝えることはできませんでした。聡くて、優しいこの娘が胸を痛めるのは目に見えていたからです。
 だから、嘘を吐いたのです。伝えた、と。
「……だからと言って何の反応もしめさんかったがの」
「そうですか」
 応えながら手を止めて、小春は糸切り歯で糸を切りました。この庵の老夫婦のための着物が一揃い、ようやっと出来上がったようです。
「でもお元気にされているのなら、いいのです」
 鰯雲が一面に浮かぶ、秋の空を見上げて小春は、ほっと息を吐きました。ふわりと、次の季節を感じる冷たさを孕んだ微風が頬を撫でて行きます。とくりとくりと、自分の下胎で脈打つ生命を、小春は金色のあやかしと……この世で一番いとしいひとと、確かに共有しているのです。
「小春」
 不意に、名前を呼ばれて。それから小春は逞しい掌に手首を取られました。身を起こしざまの金色のあやかしに引き寄せられて、ぎゅうと抱き締められます。あまりのきつさに少し苦しいと思いましたが……金色のあやかしは痺れを切らしたように、拗ねたように、小春の耳元に甘く囁きかけます。
「胎の子の相手ばかりではつまらぬ」
「……はい」
 小春は金色のあやかしの背中に手を回しました。いとしいひとを見上げて、それからくすりと笑います。小春だけの、その存在を顕す『名前』を呼びながら───。








2012・5・7





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