魔女と使い魔

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パンをつくろう@


(1)

 獣道はひたすら狭く、うねりながら森の奥に続いておりました。人の通る道はない、ジョンがそう言ったことは真実のようでした。
 レイヴンは荷車を頭の上に持ち上げたり背負ってみたりしてなんとか進んでおりました。一頭だけ用意されたヤギとの綱はズボンノベルにくくりつけ、2羽のにわとりはまとめてふろしきにくるんで首に巻いておきました。並外れた筋力だけは健在でしたので、レイヴンは苦労しながらもなんとか魔女の小屋を目指しました。
 えっちらおっちらと進んで1日半後、ようやく魔女の家に到着した時にはとっぷりとした夜のとばりが降りはじめた頃でした。
 魔女の小屋はしんとしておりました。思った通り明かりは灯っておらず、誰もいないかのように静まり返っております。レイヴンは荷車を降ろすと、ヤギの綱を庭の木にくくりつけにわとりを物置にほおりこみました。ヤギは乳を出しますし、にわとりは卵を産んでくれます。まずレイヴンはやたらと元気に騒いでいる動物たちに水とたべものを与えました。そうしてちらりと小屋を眺めやります。この騒ぎの中でも魔女が出てくる様子はありませんでした。

 小屋の中に入るとき、レイヴンは何を言うべきか悩みました。ただいま、ではないでしょう。「ただいま」とは「ただいま帰ってきたよ」という言葉です。それにそう言っても「おかえり」という言葉が返ってこないことはわかっておりました。なぜなら魔女とレイヴンはちっとも仲が良くないのです。

 考えた末、レイヴンは黙って古びた木の扉を開けました。小屋の中は真っ暗で、むしろ月の出ている夜の森の方が明るいほどでした。荷物の中にあったランプに灯をともすと、あたたかな橙色の光が小屋の中をやわく照らします。魔女はやはり、小屋のはしっこで襤褸布をかぶって丸まっておりました。傍には読みかけらしい本の山と、パンをいれた袋が転がっておりました。

 わざと大きな音を立てて荷物を置くと、襤褸布がもぞもぞと動き、魔女のチェリーブロンドがのぞきました。その下にあるまるい瞳がまぶしそうにレイヴンを見上げます。すこしだけ驚いたようにそれを瞠った魔女は、やがてぽつんとつぶやきました。

「なんだ、帰ってきたのかい」
「そうするしかねえように仕向けておいてなにをいう」

 レイヴンはぎゃあとわめきましたが、魔女はそれ以上はなにも言わずに襤褸布の中にもぐりこんで寝てしまいました。

(2)

 予想していたとはいえおかえりのひとつも言ってこない魔女にとにかく腹を立てていたレイヴンでしたが、次の日目覚めた時にはその苛立ちはひとまず脇に置いておくことにしました。何故なら、レイヴンにはやることがたくさんあったからでした。

 買ってきたばかりなのでカビこそ生えていないものの冷たいパンをもしゃもしゃと食べている魔女を横目に見ながら、レイヴンはふんと鼻を鳴らします。外に出るとヤギがめえと鳴きながらのんきに庭の草を食んでおり、にわとりが納屋の中でうるさく騒いでおりました。水ととうもろこしの粉を与え、卵を産んでいないか探しましたが、環境が変わったせいかすぐには産んではくれないようでした。ヤギに水をあたえたあとヤギの乳を搾ろうかと考えましたが、上手くはいきませんでした。子供の頃は寒さでかじかむゆびに息を吹きかけながら牛の乳を搾っていたのに、あまりに久しぶりことなので指が動いてくれなかったのでした。剣を握ったり槍を握ったり斧を握ったり、そういうことは覚えているのに。そうこうしているうちにヤギが嫌がって悲しそうにめえめえ鳴くので、しばらくはやめておこうと仕方なくあきらめたのでした。
 魔女の小屋に戻ったレイヴンの腹がぐうと鳴りました。魔女はとうの昔にパンをかじりおえ、ふるぼけた書物を抱え込むように読んでおります。こちらをちらとも見ようとはしませんでした。
 レイヴンはそれを横目で見ながら、大荷物を漁りました。すぐに大量のチーズと干し肉を発見したので、それをナイフで厚く厚く切りました。ブドウ酒もあったので栓を抜いて欠けたコップになみなみと注いでおきました。貧相な村が用意したにしてはなかなかおいしそうな食料でありました。ついでパンを探しましたが、どうやら村人たちが用意したパンはすべて魔女の持っていたパン袋に入れてあるようでした。
 レイヴンはむっつりします。魔女の前に置かれているパン袋にはたくさんのパンが詰め込まれているのでそれを横目で眺めやりました。ごほんと咳払いをしましたが、魔女は本に目を落としたままぴくりともしません。さらに続けてさきほどより大きくごほんごほんと咳払いをしましたが、乾いた音とともにページがめくられただけでした。
 気の長い方ではないレイヴンは、苛々としてテーブルをばんと叩きました。

「おいババア、俺にもパンを寄越せ」

 魔女がようやく瞳を上げました。そうしてレイヴンを見て、パンの袋に視線をうつします。しかしそれは一瞬のことで、魔女はすぐに本に目を落としました。そうしてものすごくなげやりにこう言いました。

「勝手に食べればいいだろう」

 レイヴンはむっとしました。そうかよと言い、しかしパンには手を付けずにチーズと干し肉とブドウ酒だけ腹におさめました。本当はチーズと干し肉をパンにのせて食べたかったのですが、なぜだか癪にさわったのでした。

 そうしてレイヴンは思いました。
 こうなったら自分で美味くてあたたかなパンを作って、魔女の目の前で腹いっぱいに食ってやる、と。


(3)

 魔女の家でレイヴンがすることなんて何もありませんでした。戦うことも、知略を練ることも、協力者との交渉も、部下へのねぎらいも。
 しかしやろうと思えば仕事はたくさんありました。毎日の生活を円滑にするために、それは必要なことでした。小屋の掃除、火を起こすための枯れ木集めに薪割り、家畜の世話に洗濯。台所に水がめがあれば便利なことにも気づいたので、水汲みも大切な仕事でした。
 そうしてなにより大切なのは食事でした。

 パンの作り方はジャンの母親に学んでおりました。しかしそこで彼は気づきました。小麦粉も水もある。しかし酵母とやらがありませんでした。そこでまずは酵母を作らねばならなかったのです。

 レイヴンはこどもの頃のことを必死に思いだしながら、つぼにレーズンを入れました。適当に水を入れ、台所の隅に放置しておきます。たしか泡が出てきたら良いはずでした。
 そうして7日後、わくわくとふたを開けたレイヴンはあまりの悪臭に顔を顰めました。なんとまあ、レーズンには白いものにびっしりと覆われ悪臭を放っていたのです。

「カビだ」

 レイヴンは大きな肩をがっくりと落としました。簡単にできると思っていただけに、かなりの衝撃を受けたのです。田舎の家ではどこでもパンを作ります。それは当たり前のことでした。かつて、こどもの自分が住んでいたあばら家であっても。
 そしてその失敗はしばらくの間続くことになりました。なんどやってもすぐにカビが生えてしまうのでした。

 そのうちにレイヴンは諦め、小麦粉と水と塩だけでパンを作ろうとしたのですが、魔女の持っているパンのほうが数十倍もおいしいというありさまでした。ちっともふくらまないそれは、やはり酵母を使っていないからでしょう。しかし正しい酵母の作り方をレイヴンは知らなかったのです。こどもの頃なんて、誰にも教えてもらっていないのだから、それは当然のことだったのかもしれません。

 そんなある日のことでした。薪割りから帰ってきたレイヴンは、魔女がレーズンの入った壺をのぞいているのを見つけました。

「触るな、それは俺のだぞ」

 思わず怒鳴りつけますと、魔女は壷から顔を上げました。そうして淡々と言いました。

「酵母をつくろうとしているのかい」
「うるせえよ」

 ふんとレイヴンは鼻を鳴らします。そんなレイヴンのわきを通って、魔女は奥の部屋に入っていきました。そうしていくつかの本を持ってくるとそれをめくりはじめました。
 いつものことだとレイヴンは背を向けてかまどに屈みこみます。毎日用意してある薪に火をつけると、部屋の中はすぐにむうっとあたたかくなりました。

「ん?」

ぱちぱちとはじける薪にいじくっていたレイヴンは、しばらくして服の右裾がくいとひかれているのを感じで目を見開きました。この小屋の中にいるのは自分と魔女の二人だけです。だとすればそんなことをするのは魔女しかいないのでした。見開いた目を右下に落とすと、大きな本を抱えた魔女がレイヴンの服の裾をひいておりました。この魔女がすすんで自分に興味を持つなんて考えてもいなかったので、思わずレイヴンはぽかんとしてしまいした。

 「これをみろ、酵母の作り方が書いてある」

 魔女はそう言って、レイヴンが屈んでいるかまどの前にしゃがみこみました。そうしてとなりのレイヴンに見えるように本を開き、指で文字をなぞりました。

「カビが生えるのなら、きっと温度と湿度が悪いんだ。風の通りの良い北の倉庫の方がいいと思う。で、毎日しっかり蓋をしたつぼを揺らしてかき混ぜて、そのあと蓋をとってガス抜きをする。レーズンなら7日くらいでできる、らしい」

 魔女はそうしてレイヴンの顔を近い位置から覗きこみました。

「わかったかい」
「わかったから離れろ」

 レイヴンは慌てて魔女のふわふわとした頭をぐいと押しやりました。魔女は気にした風もなく、押しやられるがままレイヴンから離れると再び部屋の奥に戻っていきました。何故だか焦った心持ちになったレイヴンは眉を盛大にしかめておりましたが、すぐに魔女の背中に向かって言いました。

「いいか、これでうまくいったからと言ってパンはやらねえからな」

 魔女は一瞬だけ振り返って、かすかに首を傾げたようでした。しかしすぐに前を向くと、何にも答えずに本を片付けに奥の部屋へと消えて行ったのでした。






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