万華鏡のせかい

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参話


 蛇骨族というあやかしは弱い生き物でしたが、ひとつだけ強いところがありました。腐っても蛇の名を持つ生き物である彼らは、「毒」にはめっぽう強かったのです。
 けれども紫は、噛んだものを死に至らしめる毒を持つ青坊が若君に噛みついたことを知って青ざめました。千が一、万が一にも若君の身に何かあってはいけない。そういってあわてて解毒薬を調合し始めました。
 そうしてその薬を持っていつものように若君の褥に向かいます。赤坊も紫にお願いしました。わかぎみに青坊をたすけてくれてありがとうといってくだせえね、と。そうしてほとほと疲れて眠り込んでいる青坊に寄り添って紫の帰りを待ちました。いつもならお月様が昇りきっててっぺんで輝くころに戻ってくるはずでした。

 しかしその晩、紫はすぐに帰ってきました。手には解毒剤を持ったまま、そうして目には涙をいっぱいにためたまま。
 赤坊はびっくりして紫のそばまで這って行くと、その顔をみあげました。紫はそんな子蛇をみて笑ってくれようとしたようでしたがそれは失敗に終わりました。寝ていた青坊が慌てたように起きて、赤坊と同じように紫の顔を見上げます。そうしてきゅいきゅいと悲しい声をだしました。

 むらさき様むらさき様、もしかしておれのせいで叱られたの?怒られたの?
 ごめんなさい、ごめんなさい。

 すると紫は首を横にふりました。そうして跪くと、子蛇たちを胸に抱きしめます。紫のかなしい気配が伝わってきて、赤坊も青坊もなんだか泣きたくなりました。

「ちがうよ。おまえたちが悪いことなんて何もない。わたしがね、なにか、なにかお気に触ることをしてしまったのだと思うの……」

 そうしてかなしいためいきをついて言いました。

「わたしがもっと利口であるなら、時貞様のお気に触ることなんてけっしてしやしないのに。どうしてわたしにはなにもわからないのだろう。どうしてなんのお役にも立てないのだろうね……」



 紫の言うとおり、紫が若君の気を損ねてしまったのでしょう。
 その日を境に、若君が紫を褥に呼ぶことはぷっつりとなくなりました。




 紫は悲しそうにしておりましたが、あまりものを考えない赤坊は素直に喜んでおりました。だって、これで夜の間も紫といっしょに居られるのですから当然のことでした。
 赤坊と青坊は、日に日にぐんぐんと大きくなっていきました。もうそろそろお外に出ていっても生きていけるね、赤坊と青坊はそういってわくわくと空を見上げておりました。紫をいじめてばかりいる若君や館のものたちがいない場所に行けば、きっと紫もよろこんでくれるでしょう。

 そんなある夜のことでした。
 紫に私室に、ひとりの男が訪ねてきたのです。

 赤坊と青坊はあまりの驚きに硬直してしまっている紫の肩口からその男をきょとんと見上げました。それは鋭い目をした図体の大きな壮年の蛇骨族の男でした。ずしりと重そうな蛇の尾を身体に幾重も巻いているところからして、相当の妖力をもっていることもうかがえました。
 しばらくして、紫がぽかんとその名を呼びました。

「……お、おやかたさま……」

 しばらく呆然としていた紫でしたが、あわてて赤坊と青坊を胸の内に抱え込むと、畳に頭をこすりつけるように平伏しました。その言葉と動作に、いくぶん鈍い赤坊にも男の正体が理解できました。おやかたさま、それは若君の父親である蛇骨族の族長である、蛇五衛門清正のことに違いがありませんでした。
 赤坊は紫の腕の隙間から親方様を見上げて、若君とは全然似ていないなあと思いました。紫はすっかり恐縮して身を震わせながらも、赤坊と青坊を守るようにして必死で平伏しておりました。親方様はそんな紫をしばらく見下ろしておりましたが、やがて低い声でこう言いました。

「名ばかりとはいえ正妻であるお前に聞かせておきたいことがある。その子蛇どもは外に出しておけ」
「え……」

 紫は迷ったような声を出しました。赤坊と青坊を抱いた腕にぎゅっとちからがこもります。それみて親方様はさらに言いました。

「今から伝えることは蛇骨族だけの問題だ。その子蛇どもには関係のないことだろう。余計な咎を負わせたいならかまわんが」

 紫は親方様をじっと見て、そうしてやがてこっくりと頷きました。



 だからこのときの話を赤坊と青坊は知りません。そのときの赤坊と青坊は親方様の側近の蛇骨族に籠の中に入れられて見張られておりました。いやだいやだむらさき様のところにもどると暴れていると目の細かな籠の中に入れられて、しっかり蓋をされてしまったのです。

「ひどいやひどいや」

 すっかり赤坊がすねていると、おとなしくしていた青坊が言いました。

「……なあ赤坊、じゃこつぞくのとがってなんなんだろうな」
「そんなこと知んねえや。それよりおれは外にでたいよ」
「たぶんむらさき様たちのおはなしが終わったらだしてくれるよ。むらさき様がいっていたじゃないか。今はおとなしくしていてねって」
「おれはいま外にでたいんだよ」

 そんなことを言いあっているうちに、やがて二匹は眠ってしまいました。そうして次に目が覚めた時には、二匹は紫に抱えられていつもの部屋に戻っておりました。もう親方様の姿はなく、紫は一匹でぼうっとまるいお月様を眺めておりました。白い光に照らされた紫はとてもきれいでしたが、赤い目がよけいに真っ赤になっていたので、他の館のやつらとおなじように親方様にもひどいことをいわれたのかな、と思いました。
 そう尋ねると紫は黙ったまま首を横にふりました。そうして何も言わず、ただただやさしく二匹を撫でてくれるのでした。


 それからまるいお月様が半分になるまでの間、紫は一匹でなにかに悩んでいるようでした。しかし赤坊と青坊には何も言わなかったので、二匹はいままでと同じようにたくさん食べて遊んで、少しでもはやく大きくなろうとしておりました。目的はただひとつ、紫を連れて三匹で屋敷の外に出ていくためでした。

 そうして白いお月様がほそい三日月になった夜のことでした。頼りないほどに細いお月様はそれでもとてもきれいで、夜の庭を照らしておりました。

 お庭におさんぽに行こうね、きょうはおまえたちの好きな歌をたくさんうたってあげる。

 紫はそう言って、二匹をお庭に連れて行ってくれました。赤坊も青坊も嬉しくてきゅきゅい声を上げました。
 それから紫はいつものお庭のはしっこ、朽ちた井戸の側で赤坊と青坊のねだるままにたくさん歌をうたってくれました。それはとてもやさしくて、聞くだけでむねがあたたかなものでいっぱいになって幸せな気分になる時間でした。赤坊も、そして青坊もそんな時間はいつまでもいつまでも続いていくと信じて疑いませんでした。

 だから、お月様が中天に昇るころに紫があのね、と切り出した言葉が信じられませんでした。紫はいつものようにやさしく、やさしくこう言ったのでした。


 ――青坊赤坊。だいじなはなしがあるんだ。聞いてくれる?

 ――今ね、蛇骨の一族はへんなあやかしに脅かされているんだって。時貞さまがどれだけやっつけてもやっつけても、何度も現れるんだって。

 ――それでね、時貞さまはすごくお疲れになってるらしいの。わたしもそう思う。最近、本当にお顔の色が悪いもの。

 ――一蛇骨族のみんなも不安になってる。こういうときって一族みんなが一致団結しなきゃならないって思うんだ。時貞さまを支えなきゃならないって思うんだ。

 ――ほんとうはね、そういうのって正妻の役目なんだって。

 ――でもね、わたしは時貞さまに嫌われているから……。すごくすごく、嫌われているから……なんにもできない。

 ――ふふ、ありがとう。大丈夫。もう泣いてないよ。おまえたちは優しいね。

 ――だからね、わたし考えたんだ。

 ――ちゃんと時貞さまを支えられる、きちんとした正妻が蛇骨族には必要なんだって。

 ――だからね……。


 ――だからね、わたしは明日、時貞さまに離縁をお願いしてみようと思うんだ。


 ――本当はね、時貞さまがわたしなんかとはさっさと離縁したいって思っていることは知ってる。だけどね、とても矜持の高い方だから……それに、優しい方だから、そういうことは自分では言いだせないんだよ。きっとね……。

 ――でもね、だからといってわたしのほうからそれを言い出すなんてもっとその矜持を傷つけてしまうんだって思うの。だけどね、こうするしか時貞さまの……一族のためになる方法なんてないもの。


 ――あのね、青坊赤坊。わたしはね、もしかしたら明日死んじゃうかもしれない。

 ――時貞さまにそんなこと言って、ただですむとは思えないもの。でもね、もう決めたの。
 ここまで養ってくれたんだもの。飢えない生活をくれたんだもの。だからみんなに……時貞さまにその恩返しだけはしなきゃ。

 ――だからね、青坊赤坊。そうなったら、おまえたちはすぐにここから逃げるんだよ

 ――泣かないで。おまえたちはもう十分独り立ちできる。すごく優しくて強い、とても良い子に育ったもの。

 ――わたし、おまえたちに会えてよかった。ほんとうに大好きだよ。だからね、おねがい。わたしの言うことを聞いて。

 ――ね。おねがい……。



 赤坊と青坊はぴいぴい泣きました。それこそ赤ちゃん蛇だったころのように涙をぽろぽろ零して泣き続けました。
 しかし紫の考えは変わりませんでした。何度も何度も辛抱強く、二匹の子蛇に語り続けます。
 それはおそらく、紫がずっとずっと考えていたことなのでしょう。もしかしたら親方様のおはなしで心が決まってしまったのかもしれません。けれども考えてみれば、赤坊と青坊が三匹で外に出ようと言った時、紫は一度も頷かなかったのです。それは紫の考えが、ずうっと昔から変わっていないことの証のようにも思えました。

 それを思いだして赤坊も青坊も余計にかなしくなって泣きました。泣いても紫の考えが変わることはないと悟っておりましたが、それでも泣き続けました。泣いて泣いて、泣き疲れて眠ってしまうまで紫は辛抱強く二匹に語り続けておりました。


 大好きだよ。だから、ちゃんと逃げるんだよ。


 次の日の夕方、紫は二匹を抱いてお庭の端っこまで連れて行きました。そうしてやわやかな草の上に二匹を置くと、さあ、とちいさな壁の亀裂を指差しました。そこは細くて狭いから蛇にしか通れないでしょうけれど、ちゃんと外に続いているようでした。
 けれども二匹は動けませんでした。
 おねがい、おねがい。そう何度も言われて動き出したのはやはり青坊でした。青坊はいつも紫のいうことをちゃんと聞くのです。青坊は赤坊をうながしました。動かずにぽろぽろと泣く赤坊を壁の亀裂に押し込んできたので赤坊は驚いて青坊を見ましたが、青坊だってぽろぽろ泣いているので口をつぐみました。

 ぐいぐいと押し出されるようにして壁の中をすすむと、外からの風が二匹を迎えてくれました。久しぶりの外はあんまりにも広くてさむくて、二匹は思わず卵から出たばかりのことを思い出しました。

 どうか元気でね。

 亀裂の奥からちいさな紫の声がしました。そうして屋敷の方から亀裂はふさがれてしまいました。おそらくは紫が閉じたのでしょう。

 二匹のしろい、あたたかなたまごのからはもう無くなってしまったのでした。








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