へびの夫婦

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一話:若君の嫁さがし



むかしむかしあるところに、蛇骨族と呼ばれる化け蛇の一族がおりました。
もともとは大蛇がひとの姿をまねて化けたその末裔と言われている一族で、ひとの姿の背骨の下、仙骨と呼ばれる部分から蛇の尾っぽがにゅるりと出ているのが特徴でありました。
あやかしとしての力が強いほどその尾っぽは大きく、太いものです。だから大抵のものはその尾っぽをぐるりと首や背中、腕に巻いて生活しておりました。


蛇骨族はとある国の西部に居を構えております。結構な数の一族で、西の土地、そこにひとつの都を築いてすらおりました。
その一族の族長は蛇五衛門清正といいました。巨大な黒い大蛇の蛇骨族で、その強さは西の土地の中でも最たるものでありました。


そんな清正にはひとりの若君がおりました。
若君の名は蛇五衛門時貞。
深い紫紺の鱗をもち、紫紺と青の混じりあった髪に漆黒の瞳をもつ眉目秀麗な若者で、その美しさは都の若い娘たちの賞賛を一身にあびているほどでした。
時貞には兄弟がひとりもおりません。
実のところ時貞は妾の子であったのですが、幾人もいた正妻の子やほかの妾の子たちは、時貞が成人する前にすべて死に絶えておりました。
一族の跡取りはひとりきり。
それは蛇五衛門の一族の中で暗黙の了解でありました。
つまりのところ、たったひとり生き残った時貞の妖力の強さは兄弟はもちろん、父親のそれさえも超えるものであると噂されるほど強大なものであったのです。


時貞がひとたび都に出ると若い娘たちが我先にと彼の元に集まります。
蛇骨族は蛇の一族。
もともとは蛇の本能を強く持っておりますから、娘たちは一族の誰よりも強い時貞の子を産みたいと思っておりました。
そうしてひとのように生活をする一族でもありましたので、その姿かたちの美しさや未来の族長という位も、娘たちにとっては同じくらい魅力的なものであったのです。

そんな状況でしたから、時貞の相手は毎日のようにころころと変わりました。
恋人というものはおらず、ただ一晩楽しく過ごせればよいという考えを持っているのか、いつもふらりと現れては群がる娘たちから気に入ったものを選ぶという日々が続いておりました。

 しかし時貞が成人の儀を終えたころ、父である清正の口から婚姻を結んで身を固めよという命が下りました。

 時貞が成人になったこと、それに都での時貞の女遊びの話をどこぞより聞いたのかもしれません。父のそれは絶対的な命令でした。

 父の前から退出した時貞はうんざりと舌打ちをしました。彼は「正妻」という立場のものを嫌って――いや憎んですらおりましたので、その自分が正妻を娶るというのは虫唾がはしるほど嫌なものであったのです。

 父は名だたる嫁候補をも、幾人も用意しておりました。
 蛇五衛門の血族のもの、一族の中でも高貴な血筋のもの、美しいもの。
 それはさまざまな娘たちでしたが、時貞はその娘たちに一度も会うことなく、こう決定を下しました。


「その娘たちはすべて側室にでもしておけ。正妻は俺が自分でみつけてくるさ」



 その日も時貞が都に出ると、娘たちが群がってきました。娘たちの情報網は早いものです。時貞が結婚相手を選んでいるとの噂はすでに都中を巡りまわっているようでした。

「ねえ時貞さま、ご自分で奥さまを選ぶって本当ですの? 」
「ねえ、ならあたしなんてどうですか? 」
「ああ、ずるい! ねえ若様、今のお前は誰より可愛いってこの間褥で仰ってくださいましたよね? 」
「ずうずうしいことを言わないでちょうだい! あんたみたいな不細工が時貞さまにふさわしいとでも思っているの!? 」



 群がる娘たちが口々にわめきたてます。
 時貞はしばらくその様子を面白そうに眺めておりましたが、やがて鶴の一声、にやりと笑んであっさりとこう言いました。


「まあ落ち着きな。俺ァ女は全員可愛い生き物だって思ってんだ。怒るとその可愛い顔が台無しだぜ? 」


 それを聞くと娘たちはめいめいに顔を赤らめ、恥じらうそぶりを見せました。
 そのさまはやはり馬鹿のように面白く、だからこそ時貞は思うのでした。


――やはり正妻などいらんな。


 正妻など、屋敷の中で奢り高ぶり自分が誰よりも夫に近しいとその虎の威の権力を振りかざすもの。自らのためなら命を命とも思わず他人を陥れ子を殺すもの。
 それはなによりも醜悪なものであると時貞は思っておりました。
 しかし族長である父の命は絶対です。


――そうだな、なら……。


 蛇骨族の若はふいに漆黒の瞳を細め、その薄い唇の端をつりあげて皮肉げに笑いました。


――誰が見ても役立たずでみずぼらしい、権力があっても使えそうにないような馬鹿な女。そのような、どうあっても「正妻」にふさわしくないものを選べばいい――



 時貞が歩き出すと娘たちはきゃあきゃあと囀りながらついてきます。色とりどりの着物を着た娘たちは華やかで美しく、そしてなによりその華やかさをいっそう上回る魅力を持つ若君の姿は、まち行く人々の目を惹きつけました。
 時貞は腕に絡みついてきた娘をそのままに、片手はキセルをふかしながらぶらぶらと歩いていましたが、ふと奇妙に真白なものが視界に入った気がしてその足を止めました。
 視線をめぐらすと雑踏の片隅、ぼろぼろに崩れた塀にくっつくようにして白い頭のこどもが座っているのが見えました。一瞬老人かと思いましたが、白い髪の下からわずかにのぞく頬は幼いものを残しております。
 かすかに匂う香りは雌のものでしたが、俯いているこどもの着物はぼろぼろで、白い髪も手入れなどしたことのないようにぼさぼさに乱れておりました。 

――物乞い。

 そう思った若君でしたが、しかしすぐにその考えが違うであろうことを悟りました。
 こどもの前にはいくつかの栓の詰まった壺が置かれており、乾燥させた草花や丸薬らしきものも並べられてあったからです。

――薬売り、か。

 とはいえあまり繁盛してはいないようでした。いえ、むしろ都の華やかな喧騒の中、まるで空気のように無いものとして扱われているようにそこにぽつねんと追いやられている感じさえ受けました。
 時貞はふらりとそのこどもの前に立ちました。横にひっついていた娘たちが怪訝な目を向けてきます。
 しかしこの気紛れな男にとってはすでに傍にいる娘どもなどもうどうでもよく、今はこの奇妙なこどもに意識がうつされておりました。

「よお」

 声をかけると顔を下を向いていたこどもが、かすかに身じろぎしました。まるで怯えるような気配を感じたので、時貞はさらに言葉をつらねました。

「薬を売ってくれねえかい、お嬢ちゃん」
「……はい」

 か細い声とともにこどもがのろのろと時貞を見上げます。その拍子にぼさぼさの白い前髪からかすかに瞳がのぞきました。
 その瞳の色に、時貞は内心ほう、とつぶやきます。
 それは目にも鮮やかな真紅の色でした。
 蛇骨族の中でも珍しい血のように赤い瞳。それに奇妙なほどにましろの髪と肌。
 珍しいと思わずしげしげと眺めていると、右隣の女が耳元でそっとささやいてきました。

「……この娘知っていますわ。親なし子です。白い身体に赤い瞳は弱者の証。まともに育たないだろうと、生まれてすぐ親に捨てられたのですわ」

「へえ」

 時貞は薄ら笑いを浮かべたまま白い娘をみやりました。
 たしかに弱そうな娘です。感じられるあやかしの力もわずかなもの、下手をするとその辺のただの蛇などよりも弱いかもしれません。
 がりがりに痩せた身体は幼く見えますが漂ってくる匂いは成人したばかりの雌のもののようでした。あやかしの力が弱いせいか、幼く見える姿のまま外見の成長がとまってしまったのかもしれません。
 膝の上にはなぜだかてのひらの大きさほどのみずぼらしい子蛇を二匹のせております。短い裾から伸びている足や手は、あちこち傷ついていて、世辞でもうつくしいとは言えないものでした。

「……お嬢ちゃん、年はいくつだい? 」

 問いかけられたこどもはぼんやりと時貞を見返します。しかし白い頬に感情の色はほとんど昇らず、淡々とその問いに答えてきました。

「……十五です」
「へえ。ならちょうどいいな。名は? 」
「……むらさき……」


 時貞は頷きます。
 このとき、すでに彼の頭にはひとつの名案が浮かんでおりました。
 だからさらに数歩前に進み、紫の眼前に歩み寄ります。
 そうしてその赤い瞳を見下ろしながら薄い笑みを浮かべ、傲然とこう告げました。


「では紫。本日をもって、おまえを俺の嫁に迎えることに決めた。よいな? 」


 しんと周りが静まりかえります。
 誰もが唖然とする中、しかし目の前の白い娘だけはあまり驚いていないように見えました。
 事態を把握していないのでしょう。
 ただ首を傾げ、不思議そうな表情を浮かべます。
 その小さな唇がなにかを紡ぐより先に、時貞は再度その赤い瞳を見据えます。
 そして反論など一切許さぬという口調でこう言い放ちました。


「俺は蛇五衛門時貞。――もう決めたことだ。この俺がな」



 彼の決定に、この娘の意思など一切必要ないものなのです。







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