「ガラス越しの距離:番外編」

「サプライズ・サプライズ:後編」





「真琴、明日の日曜日買い物に行こう! 」

ガラス戸を開け放ちながら満面の笑みでそう切り出した幼馴染に、机の前に座っていた真琴は眉をひそめながら顔を上げた。

「……久弥。私たちは俗にいう受験生というやつだろ。何を悠長なことを言ってるんだ」
「い、いやそうなんだけどさー」

真っ当すぎる正論に久弥は一気にひるんだようだった。
二人は高校三年の受験生。久弥と真琴と同じ大学に行こうと猛勉強中である。
加えて、現段階では久弥のほうが真琴よりも成績は悪かった。本人もそれを気にしているようで最近では高校の友人たちで作った勉強会に、休日でもがむしゃらに参加している。

真琴はガラス戸の前で佇んでいる久弥を見やった。
先ほどの元気のよい子犬のような様子は一変し、叱られた大型犬のようにしょんぼりとしている。
こうなると真琴は弱かった。昔からなの常なので、これはもうどうしようもない。

「……なにか欲しいものでもあるのかい? 」

声をかけると久弥はぱっと顔を上げた。そしてこくこくと頷く。

「そ、そう! すげー欲しいものがあってさ、それで真琴にも見てもらいたいんだよ」
「私に? 」
「そ、そう。参考に」

真琴は額に汗をにじませている久弥をみつめる。
ああ、嘘だな。すぐにそう思ったが久弥が意味のない嘘をつくことは少ない。久弥にとっては何か意味があるのだろうな、と漠然と思った。

「……わかった。じゃあ、午前中は一緒に勉強をして午後から数時間だけ行こう。それでいいかな」
「おう! 」

そういうと久弥はようやく晴れやかに笑った。そうしていつものように真琴のベッドにダイブする。ぎしぎしと音が鳴るのもお構いなしでごろごろとし、そうして幸せそうに枕に顔をうずめた。
その様子を見て安堵した真琴は机の上に視線を戻す。
そうしてその隅に置いてある卓上カレンダーを見てひとつ瞬いた。

「…………」








サプライズ・サプライズ:後編











「あ、真琴真琴! ここ綺麗だぞ。なあ、入ってみる? 」

そういって久弥が指差したのは、なにやらキラキラと擬音が聞こえてきそうなほどまばゆいアクセサリー屋だった。
真琴は黙ったまま久弥を見て、そうしておもむろに首を振る。

「いや、いい」
「え、なんで! ちょっと入ってみようぜ」
「いや、別に興味がない」
「じ、じゃああれ、あっちの雑貨屋は? 」

そうして久弥が指差した店はふわふわとした桃色が溢れ返っている雑貨屋だった。
真琴は再度首を振る。

「興味ないし、そこは高いぞ」
「そんなのいいって」
「いや、装飾ひとつで万単位はする」
「オウ……」

久弥が妙な声を上げたので真琴は首をかしげた。うむ、とあごに手をあてると妥協案を持ち出してみる。

「いや、お前が見たいのなら一緒に行くけど」
「いや、いいよ……」

なにやら久弥はがっくりしたようだった。そうして同時に困り果てたような顔で真琴を見下ろしてくる。その目はやはり迷子になった子犬のような目に似ていた。
久弥はそんな目で真琴の顔をまじまじと見ていたが、やがて小さくつぶやいた。

「……真琴ってさあ、そういえば俺と出かけるときは俺に付き合ってくれてばかりだったよなあ」
「……まあ、そうかな」

そういわれて真琴は瞬いた。たしかにそうだったかもしれないな、と思う。
久弥はいつでも真琴の手を引っ張って、やれゲームセンターやらプラモデル屋やらペットショップやらCD屋やらに突撃していた。真琴もいつも当然のようにそれに付き合っていた。

「まあ嫌じゃなかったしな」

そういうと久弥は悲しそうな顔をした。

「真琴、今日は真琴の好きなところに行こう」
「は? 」
「なんかすんげえ反省した。俺、真琴の好きな店とか知らないもん。駄目じゃんそんなの」

上から落ちてくる久弥の声は真剣そのものである。
真琴は苦笑した。
まったく、何を言い出すのやら。
そんな気分で手を伸ばして久弥の鼻をつねってやった。

「いいんだ。一番好きなものはもう持ってるから」
「は? 」
「お前は知らなくてもいいんだよ」
「いや、でもさ……」

指を離すと久弥の鼻の頭が少しだけ赤くなっている。それは小さなころの久弥の顔そのままに見えた。
ゲームセンターもプラモデル屋もペットショップも、すべて嫌ではなかった。けれど未知の場所は不安で、ひとりでなんて入ったことがなかった。そんな立ちすくむ真琴の手を引っ張ったのはいつも久弥だ。久弥に連れていってもらってはじめてそれらに触れることができて好きになれた。
そういうことを知らないのだ、この幼馴染は。

「じゃあ本屋に行こう、久弥」
「本屋? 」
「ああ。今一番欲しいのは本なんだ」
「あ、そういや荻野目万里の新作が出たって聞いたな。それ? 」
「もちろん」


真琴は頷きながらこっそりと微笑んだ。
ほら、私の好きな作家、ちゃんと知ってるじゃないか。
それに本だったら大丈夫だろう。
受験でバイトもしていない高校生の財布事情は真琴にだってわかっている。そして、久弥が今考えていることも。

「よし、じゃあ本屋に行こうぜ真琴! 」

ようやく明るい笑顔を見せた久弥が当たり前のように真琴の手をつかむ。
その手にいつものように引っ張られながら、真琴はくすりと頬を緩めた。
久弥の頭のてっぺんからは晩夏の空が広がっている。硬い黒髪が跳ねるように動く隙間からのぞく空の色は毎年変わらない。

毎年毎年、真琴の机の中にある小箱には宝物が増えていく。
肉まんにビー玉。カブトムシの抜け殻にねりけし半分。
ほかの人から見れば取るに足らないそれらは、すべて「そのときの」久弥の一番の宝物だったということを真琴だけは知っていた。
そして、その「一番」をちゃんと真琴にくれる久弥の優しい心も。
だけど今年は小箱には入らないな。
今年のプレゼントを予想して真琴は思った。
誰に入れ知恵をされたのかは知らないが、一緒に買い物に行きそこで真琴の好きなものをリサーチ、その後こっそり買ってサプライズプレゼント、という予定だったのだろうと推測する。
まあ、久弥にそんな器用なことができるはずがないのがその作戦の穴だったのだが。

まあいい。
久弥の弾むような足取りを見ながら真琴は思う。
せいぜい知らないふりをして、当日は驚いてやろう。
そうしてそんな真琴のようすをみて、心底嬉しそうに笑うだろう久弥のことを思うと、それだけで想像以上に胸が弾んだ。


うん。

それは私にとって充分に、サプライズプレゼントになる。









「で、マコトさんの反応はどうだったの神ちゃん! 」

いつもの裏庭での昼休み。
元気のよい二ノ宮の言葉に神崎久弥はおもむろに立ち上がる。
そうして円状に座っている面々を見渡して、ぐっと親指を突き出して見せた。

「大成功―っ! 」

その言葉に二ノ宮が両手を組んでにこにことした。

「本当? あたしのお勧めした「自分自身をプレゼントしちゃうぞ作戦リボン付。てへぺろ☆」が成功したんだね、よかったねえ〜」
「いやいや、ちげーし! 」
「しかし良かったな。結局何を買ったんだ? 」

ちんまりと見上げてくる藤堂の言葉に、久弥はえへんと胸を張って見せた。

「真琴の好きな本。一緒に本屋に行って、真琴が他のところを見ているすきにこっそり買って、部屋で渡したわけだよ」
「そうかあ。本っていいね。マコトさんの好きなもののほうがいいしね」
「うんうん。サプライズもびっくりしてたんだぜ。で、すげー喜んでた。もうそれが可愛くてさあ、可愛すぎてさあ」
「……へえ」

ひたすらにやにやする久弥の横で、司が呆れたような目を向ける。
それに気づいた二ノ宮が、頃合いを見計らってつつっと司の傍に寄った。

「どしたの? わんちゃん」
「いや……」

司はなにやら藤堂と話している久弥を見る。そうして苦笑を浮かべた。

「……マコトが気づかないわけないと思うんだがな」
「え、そうなの? 」


司には幼馴染はいないが、同じように近しい相手はいる。
そして、その人に為になら嘘も演技もためらわないという気持ちも理解できる。
マコトと自分は似ているのだ。
阿呆のように一人しか見えないところも、その行動基準も。

「まあ……いいか」

久弥はひたすら嬉しそうに笑っている。
だから司はそんな久弥を見て、肩をひとつすくめるだけに留めるのであった。









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2012・2・5