「ガラス越しの距離P」

「ガラス越しの距離:ハニーデイズ」




「マコト、ちょっと休ませて〜。今日は疲れました。超疲れました! 」

網戸の開く音と共に騒がしい声が部屋に響いた。
ついでギシリとベッドのスプリングが軋む音に真琴は眉をしかめる。そうしてゆっくりと振り向いた。


「久弥、やめろ。ベッドが壊れる」
「ん〜」

子供の頃から久弥のジャンプを受け止め続けてきた真琴のベッドは、最近では奇妙な悲鳴をあげることが多い。
だから真琴は何度も久弥に注意してきた。
ベッドに寝転がるのはいい。だけれど勢いよく飛び込むのだけはやめてくれ、と。

「ん、いやいや〜壊れない壊れない。おれはこのベッドの可能性を信じてる。もっとやれる奴なんだ、こいつは」

参考書を閉じて後ろを振り向くと、案の定幼馴染は真琴のベットの上に転がっていた。
手足を投げ出して枕に顔を埋めている。端から腕がだらんと垂れている様はいかにもリラックスしているように見えた。
それを見て真琴は苦笑する。

幼馴染という関係から踏み出して、今日で五日目になる。
しばらくはなにやら緊張したようすの久弥だったが、五日も経てばいつもの様に戻った。
毎晩部屋にも侵入してくるし、どうでもよい話もする。
真琴のうしろで参考書を広げていることもあるが、休みと称してベットでごろごろしているのも相変わらずだった。
世間一般でいう「恋人」らしいことも特にない。

(まあ、そうそう変わるものでもないか)

かくいう真琴だって「恋人同士」がどういう会話をするのか具体的に知っているわけではない。
なんせ側に居たのはずっと久弥で、真琴は久弥しか視界に入れてこなかった。
そうして、あえてその状況を選んできたのは自分自身であることも知っている。
当然恋人など居たこともなかった。

(まあ、いいか)

ぎこちなくなるより余程いい。少し前のすれ違いのことを思い返すとしみじみとそう思えた。
くるりと背を向け、再び参考書を開く。3日後から期末テストがあるのでのんびりしてもいられなかった。

そうして再びしんとした静寂が訪れた。
その静けさに、久弥は寝てしまったのだろうと思った。
久弥は真琴と違って学校で勉強をしてくる。
真面目に勉強会にも参加しているようなので、さすがに疲れてしまったのかもしれなかった。
ノートの上を滑るシャープペンシルの音と、ページのこすれる音が響く。
カーテンがゆるく夏の風を運んでいた。


「お疲れー」
ふう、と息をついたところで声をかけられ、真琴はあわてて振り向いた。
寝たとばかり思っていた久弥はベッドにあぐらをかいてにこにことしている。
「じゃ、おれも帰ろうかな」
そういって立ち上がる。真琴は首をかしげた。
「お前、起きてたのか? 」
「うん? 」
「静かだったから、寝ているのかと思った」
そういうと久弥はへへっと笑った。そうして胸を張る。
「真琴はもうすぐテストだろ。まあ邪魔はできませんて」
「……ならなんで来るんだ。暇だったろうに」
その言葉に久弥はきょとんと目を見開いた。
「なんでって、会いたいからに決まってんじゃん」
さらりと口にした言葉は真琴の思考を停止させたが、当の本人はまったく気にしたようすもなかった。
当たり前のように続ける。
「真琴に会わないと落ち着かないんだよなー」
「……」
真琴は黙り込んだ。なぜかと言うと簡単なことで、あまりに素直な言葉が嬉しかったのだった。
まったくもって久弥はこういうことが多い。
思ったことを口に出しすぎなのではないかとすら思うことがある。
もっとも、思ったことを内に溜め込みがちな真琴とは正反対で、そこが羨ましかったりもするのだが。
「あ、もしかして邪魔だった? 」
それなら考えるけど、と不安げな表情を見せる久弥に向かって慌てて首を横に振る。
邪魔なわけがない。嬉しい。
そう言おうとするが言葉にできない自分がもどかしかった。
「……好きにするといい。どうせ今までだってそうだったろ」
「おう。ありがと」
可愛くない真琴の言葉に、それでも久弥はへにゃりと笑った。
くそう、子供め。真琴は少しばかり目をそらし、熱くなってくる頬に片手をあてる。
まったくもって久弥はずるい。気づいていないところがまたずるい。

すると立ったままの久弥はほんのすこし黙り込んだ。
顎に手を当て、なにやら難しい顔をして真琴を見下ろす。
「……真琴、テストが終わるのは10日後だったよな」
「ああ」
熱よ治まれ。そう思いながら顔を上げると、久弥と目が合った。
久弥は真面目な顔のままうん、と頷く。
「そうかあ」
「……? 」
怪訝な表情の真琴に気づいたのだろう。
久弥は瞬き、そうしていつものようにぽろりと本音を零した。
「じゃあいろんなことをするのは10日後からだなー」
「……」
「あ。しまっ……」
「…………」


マコトが静かに立ち上がる。
そうしておもむろに、今まで座っていた椅子をむんずと掴んだ。
「……出て行け」
ヒサヤは慌てたようにマコトを見上げてくる。しかしすぐにぎょっとしてその身を引いた。
「え?なんで?ちょっとまって違うぞ、おれは別にエロイことばかり考えてるわけじゃ……」
「出て行けといったんだ」
その細い手で椅子を振りかざすマコトの顔は完全に赤の色に染められていた。
ヒサヤはそれに一瞬だけぽかんとしたが、すぐに振りかざされる椅子から逃れて窓の外へと飛び出した。
「え、な、な……マコト? 」




ぴしゃりと閉じたカーテンを掴んだまま真琴はずるずると座り込んだ。
まったく、あいつはどうしようもない。
思ったことを口に出しすぎだ。少しは慎むということを覚えておかなければならない。
頬がこれでもかというほど火照っているのがわかる。
心臓がばくばくと五月蝿くて、耳鳴りまでしそうなほどだった。

「くそ、テストはこれからだというのに、勉強に集中できなかったらどうしてくれる……」

真琴、と困り果てた声が外から聞こえる。ついで静かに窓ガラスを叩く音も。
いつかとそっくりなこの状況に、真琴はふいに笑みが浮かんでくるのを感じていた。
熱い頬をてのひらで冷やしながら深呼吸をする。

いつかとそっくりな状況。
だけれどあのときとは違う距離。

――あと1分だけ我慢してガラス窓を開けよう。そうして、仲直りをするのだ。


ガラス越しの久弥の声を聞きながら、真琴は赤い顔のままふふっと小さく微笑んだ。









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2011・6・19













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