天上の花






「何見てんだよ、司」
中学からの帰り道。隣を歩いていた友人の声に司は我に返った。
「いや……」
「ん? ああ、死人花じゃん」
司は聞きなれないその名前に、わずかに目を見開く。
「死人花? 」
「そー。ばーちゃんが言ってた。地獄花とか幽霊花とも言うらしいぜ。なんでか知んねえけど、不吉な花なんだって」
司は黙ってその花に目をやった。毒々しいほどの赤い花は、傍らの田んぼの端に競うように咲いている。葉は一切ついておらず、すうっと細い茎だけが風に小さく揺らめいていた。
「おれさ、小さい頃それを持って帰ったことあるんだよ。そしたらさ、ばーちゃんがすげえ剣幕で怒るの。そんな不吉なもの持ってくるんじゃない、毒もあるから早く捨てて来いってさー」
「へえ……」


死人花、地獄花、彼岸花。
確かにその名は不吉なものに思えた。その花の色も、血を連想させるかのような赤い色をしている。
しかし司にはその花が特別なものに見えていた。
秋の田は稲穂が実って金色に輝いている。その傍らに咲く赤い花とのコントラストは素直に綺麗だと思えた。
しかし司は自問する。
普段、司は花になど興味はない。自然を見ながら帰るということもなかった。感受性というのだろうか。それが豊かな方ではないことも自覚している。
だからこそ不思議に思った。
それがどうして、この花だけこのように写るのだろう。

「……あ」

その時ふっとひとつの台詞が脳裏に浮かんできた。
そうして、花の前で嬉しそうに笑っている少女の姿も。



天上の花








「司くん見て。ようやく咲いたね」
つないでいた手をつと引かれて、司は立ち止まった。後ろを振り返ると、5つ年上の姉が嬉しそうに笑っていた。
「なに? 」
司はせかせかと尋ねる。正直に言えば早く家に帰りたかった。
この田んぼの道は人通りが少ない。だから姉をいじめる男子たちに見つかって、逃げ切れない可能性が高かったのだ。

姉のリコは司とは苗字が違う。一緒に暮らしてはいるが、血のつながりの無い、別の家の女の子だった。
それが数年前に司の家にやってきた。一緒にやってきたおじさんはすぐに帰ってしまったが、リコは一人で司の家に残っていた。
まだ小さかった司には理由はわからない。けれどそれ以来、リコは司の「お姉さん」になった。

司はリコのことが大好きだった。
リコは少し頼りないけれど、とてもとても優しかった。いつもにこにこしていて、わたがしのようなふんわりとした、やわらかな雰囲気を持っていた。
そんなリコがいじめにあうようになったのは最近のことだった。クラスメイトの男子たちにこづかれたり、嫌なことを言われたりする。それは「ジサツシャのムスメ」だの「ヨワムシのムスメ」だの、司には良く分からない言葉だらけだった。
けれども司はそれが嫌だった。リコは何も言わない。じっと黙っているけれど、実はすごく悲しいのだろうということがわかっていたからだった。。
だから司はリコを守ることに決めた。
リコは小学6年生。司は小学1年生。
リコのクラスメイトの男子には到底かなわない。けれど、それでも司はリコが悲しい顔をするのが嫌だった。
ただそれだけの理由で、司は5つ年上の姉を守ることを決めたのだった。


だからこの状況で、司は焦っていた。
人通りの多い場所ではいじめっこたちもやってこない。やってきたとしても、その頃の司は大人に助けを求めると言うことを覚えていた。本当は自分でやっつけたいのだけれど体格からして違いすぎることは、これまでの経験からして学んでいたのだ。
しかしこの場所は、田んぼだけしかないこの場所には人があまり通らない。
つまり、大人の助けを呼ぶことができないのだ。
「なに? 」
せかせかと尋ねる司に、しかし目の前の姉はのんきそうに笑って赤い花を指して見せた。
「何って、まんじゅしゃげだよ。きれいだねえ」
「まんじゅしゃげ? 」
リコはこくりと頷く。そうして嬉しそうに続けた。
「曼珠沙華。つぼみが膨らんでいたからもうすぐ咲くなあって思っていたの。秋になったらこの花は咲くんだよ」
「ふうん」
司の気のない返事にもリコは気づかないようだった。司はほんの少しいらいらとした。こんなところでモタモタしていていじめっ子に見つかったら、悲しい思いをするのはリコのほうなのに、どうしてこんなにのんきにしているんだろう。
しかし続けられたリコの言葉に、司はきょとんとした。
「嬉しいな。このお花ね、司くんにみせたかったの」
「え」
目の前のリコは頬を染めてふわふわと笑っている。笑うと蕩けそうなほどに愛らしい顔になることを司だけは知っていた。
「曼珠沙華はね、この季節にしか咲かないの。お花屋さんにも売ってないし、この一瞬のときにしか見れないんだよ」
「へえ……」
司は頷いてその赤い花に目をやった。そういえばそんな気がした。珍しい花ではないような気がするけれど、花屋で売っているところを見たことはない。
「赤くて、きれいでしょう? 誰もお世話をしていないのに、毎年、一生懸命咲いているんだよ。凛としてて、すごく強くて、かっこいいお花なの」
リコらしいな、となんとなく思った。
この姉は道端に咲いている花が好きなようだった。一緒に通学する時にも、そのあたりに咲いている花を見ては司に報告していたから。
花だけではない。空が高くなった、雲の色が変わった。そう言っては嬉しそうにしている。
司にとってはどうでもいいことだったけれど、そういう些細なことを嬉しく思えるのは、きっと楽しいことなのに違いがない。
リコは笑う。
「司くんはね、なんとなくこの花に似てる。強くてきれい。それにかっこいいもの」
「強い? 」
「うん」
「ぼく、かっこいい? 」
「うん! 」
司はもう一度その花を眺めた。
不思議なもので、リコにそう言われただけでその道端の花に愛着が湧いて来るような気がした。
どうでもよかった花が特別なものに見えてくる。
それはまさに、リコだけが司に使える、リコの魔法だった。
「ねえ司くん」
頬を揺るめたまま嬉しそうにリコはいう。
細くてふんわりしている声なのに、その声はいつでも、強く強く司の心に響いてくる。
それは本当に、不思議なことなのだけれど。

「曼珠沙華。来年もまた、いっしょにみようね」



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「あ、司くん! 」
買い物帰りなのだろう。今のリコが、19歳になったばかりの姉が嬉しそうに駆け寄ってきた。背丈も伸びたのに、その蕩けそうな笑顔だけは変わらないのがなんとなくおかしかった。
「あれ、曼珠沙華! どうしたの? これ」
司が手にした赤い花に目を留めて、そうして不思議そうに見上げてくる。
拾ったと答えると、リコはさらに嬉しそうにふんにゃりとその頬を緩めた。
「そうなんだ。――ああ、やっぱり、すごくきれいだねえ」


死人花。地獄花。幽霊花。
毒もあり、日本では不吉な象徴とされている赤い花。
しかしそれを簡単に幸せの象徴にしてしまえる人間が居る。
司にはできないし、しようとも思わない。

だが―そんな人間の側に居られることを、ほんの少しだけ嬉しく思えた。











天上の花






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