「僕の太陽:50」

<エピローグ>






「お願いします」


司が赤谷家を訪れたのは、彼がリコの家を出て行く1日前のことだった。
以前と同じように縁側にサイダーを出した赤谷は、いつぞやと同じような台詞を聞いてぽかんと瞬いた。

「…ちょっ。司君、それは無理やて」
赤谷は慌てて首を振った。
「言うたやろ?俺には惚れた女が居るし、それに今のリコちゃんの好きな奴は俺やない。お願いします言われても…」
「…赤谷さん。最後まで聞いてください」
「へ?」
司の顔には苦笑が浮かんでいる。
赤谷は瞬き、そうして目の前の少年をまじまじとみやった。
いつかと似たような状況だが、少年の雰囲気は随分と変化しているような気がした。
「俺、家を出てからは姉さんに会わないようにしようと思うんです」
「…会わないって…」
「姉さんから、卒業します」
きっぱりと断言する司の表情は揺ぎ無い。
しかし赤谷は慌てた。
今の赤谷は司の気持ちも、リコの気持ちも知っている。
お互いにお互いのことを一番に考えていることも。
ちらりとある少女の顔が脳裏に浮かんだ。
以前の自分もこうだったのだろうか。
大切にしすぎて一歩も踏み出せなかった過去が蘇る。
そうして、焼け付くようなその後悔も。
「司くんはそれでええのか?」
だからあえて慎重に尋ねる。司の気持ちもリコの気持ちも、彼には手に取るように理解できた。
しかし司はあっさりと首を縦に振る。
「はい」
「……」
赤谷は黙り込んだ。
これではいけない。いつかの自分のようになる。
そう思っていると、目の前の司は整った顔を小さく緩めた。
「だけど…いつか俺が少しはマシな男になったら、『高宮梨子』に会いにきます」
「へ?」
「俺は姉さんから、姉さんは俺から卒業しなければならないことはわかってるんです。そうでないと向き合えない。
姉さんは馬鹿だから、「弟」への罪悪感に潰されて俺を欲しがらない。だから俺は…弟の俺は明日で消えます」
「……」
「だから赤谷さんには、姉さんを見守ってやって欲しいんです。新しい俺が『出会い』に来るまで」
その答えを聞いて赤谷は大きく息を吐く。
すると次いでくつくつと笑みが湧いてきた。
…そういうことか。
詭弁でも何でも、リコという子と司という少年が幸せになる道は残されている。
そうしてその道を自分で選び取った少年には心の底から頭の下がる思いだった。
「…まあ、ええけど」
そこで赤谷は、わざと意地の悪い笑みを浮かべて見せた。
「リコちゃんに好きな男ができたらどうすんねん。俺は見守るのはできるけどそれ以上はできへんよ」
すると司はあっさり頷いた。
「いいですよ」
「え!ええの?」
驚く赤谷に、少年はさらりと言い切る。
「そいつから姉さんを奪い返すだけですから」
「うわあ」
なんちゅう自信や。
そうは思ったが至極愉快な気持ちになってきた。
この少年には覚悟がある。大人になりたいと思う理由があり、前に向かう力がある。
姉を誰よりも大切に想っている少年はそれ故に旅立つのだ。
姉ではない…「高宮梨子」に出会うために。


「わかった。頑張りや」
だから赤谷は快諾した。
司は安堵したように頭を下げる。
「ありがとうございます」
その頭を見て、赤谷はふと声をあげた。
「そういや司君、半年は消防学校に行くんやろ?」
「はい」
「消防学校って確か規則で全員坊主頭にならなあかんのやないか?」
「…………」
少年は黙り込む。
苦虫を潰したような顔で自分の髪に手をやり、そうしてぼそりとつぶやいた。
「…となると…少なくとも姉さんに会えるのは1年ぐらい先か…」


その台詞にナイーブな少年の心を理解し、思わず赤谷は爆笑した。









エピローグ











To赤谷吾郎


こんちは吾郎さん!
朗報です!

わんちゃんと高宮梨子さんはついさっき無事に出会うことができました!

しかしリコさん大丈夫かな。わんちゃんはどうやらドSです。
あれじゃあ一気に食べられちゃいそうだよ。
あれだね。解き放たれた犬は狼になるんですね。まさにそんな感じ!
まあ1年以上おあずけだったんだもんねえ。仕方ないか!

あ、他の皆さんには吾郎さんから伝えておいて下さいね〜。
ではではバイトに戻ります!


夏美



「小町ちゃん。ふたりはうまく出会ったみたいやで!」
赤谷は携帯を覗き込みながら嬉しそうな声をあげた。
「良かったなあ!…あ、なんか涙が…」
「うーん。長かったですもんね〜」
思わず小町の顔もほころんだ。
しかし直ぐに気を取り直したように肩をすくめる。
「まったく。司くんの馬鹿ちんのせいでリコちゃんがどんなに寂しがってたか。あの子寂しいとか言わないから、傍から見てて余計に可哀想だったんだから〜」
「まあなあ…。でも司かてリコちゃんに見合う男になれるように、1年間一生懸命やったんやで」
赤谷は涙を手の甲で拭いながら今や弟分である少年を弁護した。
「ものすごくリコちゃんに会いたいみたいやったけど我慢我慢の子やった。ホンマ偉かったなあ…」
「なーにが見合う男よ」
しかし小町はふん、と鼻を鳴らした。彼女はあくまでリコの味方なのである。
「男のプライドってホントに厄介だわ〜」
「まあなあ。男ってそんなもんやねん。ああ、それにしても…」
赤谷はにっこりと笑う。
「ほんまに良かった!」



to桜井

はよーん。
前に言ってたリコちゃんの件だけどね、うまくいったみたいだよーん。
さっき赤谷さんの知り合いの子から連絡があってさ。
その知り合いの子はなんとリコちゃんいきつけのカフェでバイトしてんの。
それでまあ今回の奇跡の出会いが演出できたわけで、しかもこんな速報も入ってくるわけよ。なんちゅうか、人と人との繋がりって凄いよね〜。

しかし良かった。
本当に良かった!

あんたもほっとしたんじゃない?
自分の所為で司くんとリコちゃんが離れ離れになったんじゃないかって心配してたもんね〜。
「あんたにしては珍しい」ことに!

今度皆でお祝いをしようね。
そん時はもちろん「若社長様」の奢りで頼むわ。

んじゃね。


小町




桜井は携帯を折りたたむと小さく微笑んだ。
思わず安堵の息が洩れる。
「父」と「自分」の恩人であるリコの朗報は自分で思っていた以上に嬉しかった。



「…私の所為なのですね…」

司が家を出てからの桜井の言葉に、リコは慌てて首を振った。
「ち、違います。そんなんじゃないんです!いえ…むしろ桜井さんのおかげで司くんは出て行くことができたんです!」
「……」
桜井はその言葉を聞いた瞬間黙り込んだ。
「出て行くことが出来た」。その言葉はリコの傷を如実に示しているように思えた。
いつも人前ではリコはにこにこしている。
しかしその傷は深く、瘡蓋にさえなっていないことは明白だった。
…それ故に胸が痛い。

桜井はおもむろに口を開いた。
「…リコさん。父は、最期まで貴女に感謝をしていました」
「え」
「貴女は自分のことを自分勝手だと言う。今回のことも自分のためにやったのだと言う。だけどね、私も父も知っています」
桜井は微笑む。
「人間はみんな勝手なものです。皆、自分のために生きている。そうしてそれを甘受している。あたり前だと思っている」
「……」
「それなのに貴女は自分が勝手でいることを潔しとはしない。それはね、貴女が途方もなく優しいからです」
「そ、そんなこと…」
「父はね、本当に勝手な人間でした。好き勝手生きてきた。家族さえも物の様に扱って生きてきた。だからこそ思ったのでしょう。最後に、自分とはまるで違う貴女のような存在に会えて良かったと。」
桜井は続けた。

「少なくとも貴女はひとりの人間を…いえ、私を含めて二人の人間を幸せにしてくれました。だからこそ私は…私達は、貴女に幸せになって欲しいのです」



自動車の窓を開けると爽やかな風が流れ込んできた。
桜井はその空気を吸い込みながら、運転手に声をかける。
「次の会合まで時間があるな…おい、父の墓地に向かってくれ」
「え…はい。墓地、ですか」
さすがに驚いたような声をあげる運転手に、桜井は笑みを含んだ声で答えた。

「ああ。父に良い知らせができたんだ」





「おい、二ノ宮」
聞き覚えのある声に二ノ宮夏美は振り返った。
バイト先であるカフェの一角。目立たない位置にある植木の影から声は聞こえてくる。
「わ!かんちゃん達!いつのまに来てたの?」
「しーっ!」
そこに居たのは高校時代からの友人達だった。
司も含めて、今でもその友人関係は続いている。
「お前からのメールを見て慌てて来たんだ」
なるほど。夏美は思った。
そうしてわんちゃんって幸せ者だねえとしみじみとする。
「で、どうなった?」
神崎がメニュー表で顔を隠しながら問いかける。
夏美はうふふと笑って見せた。
「うまくいったみたいだよ〜。それにしてもリコさんって可愛いねえ。5歳上には思えないよ」
「そうなんだよなあ。ちくしょー司のやつめ。うまいことやりやがって」
夏美はカフェの窓際に座っている司と「高宮梨子」に目線を移した。
何を話しているかまではわからない。
しかしこのふたりはうまくいく。
なぜだかそんな確信があった。
だって。


「わんちゃんの想いはとんでもなく本物だもんね」
そう言うと友人達は顔を見合わせ、胸のすくような明るい笑みを浮かべた。
「そうだな!」


カフェの一角では青年と女性が「はじめての出会い」を果たした。
お互いにお互いのことを、誰よりも大切に想っているふたりが。



夏美は窓の外に広がる青空に瞳を細めた。


季節は6月。
曇っても雨が降っても、それでもすぐに夏はやってくる。

綺麗なお日様は二人の上に降り注ぐ。
きっと。
これからは、ずっと。


司が手を伸ばす。
梨子は手を伸ばすのをためらっている。
しかし司がさらにその手を伸ばして梨子のてのひらを掴んだ。
今度は二度と離す事のないように。
彼の持てる全てを注ぎ込んでその手を握る。



太陽のひかりはそんな二人を包み込み…そうしてやわらかく、やわらかく空気に溶けていった。









「僕の太陽」:完









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