或るはつこいの話 |
あたしのお父さんはお馬鹿な人だ。 どんな人にもやさしくて、どんな人にも救いの手を差し伸べてしまう。 そうして、それに見返りを求めない。求める、ということすら知らないんじゃないかとあたしは毎日思っている。 人にお金をとられてしまうなんて毎度のこと。事故にあいそうになった人や動物を助けるのも毎度のこと。 寂しそうな悲しそうな人を見るとほっとけないのはほぼ毎日のこと。 そのせいで仕事をクビになっちゃうのも毎度のこと。 だけどもお父さんはそれにちっとも苦にしたようすはない。お金が無くても、貧乏でも、毎日にこにこと楽しそうにすごしている。 「僕には美幸さんと根倉さんが居るからしあわせなんですよ」 そういってふんわりと笑ってくれる。 あたしのお父さんはお馬鹿な人だ。 なんせ家族といえばあたしと、居候である根倉のふたり。 あたしはお父さんと血の繋がりはない義理の娘だし、根倉にいたってはお金も稼げない居候のただ飯ぐらいである。 それなのにお父さんは「しあわせ」という。 あたしのお父さんはお馬鹿な人だ。 だけれど、すごくすごく素敵な「お父さん」なのだ。
或るはつこいの話
「こんにちは。誠一さんいる? 」 玄関から聞こえてきた声にあたしはうえーと声をあげた。 側で一緒に洗濯物をたたんでいた根倉があわてたように腰を上げる。そうしてばたばたと押入れに隠れてしまった。このみょうちくりんな居候は、あたしたち以外の人間には、姿を見られることすら怖いらしい。 あたしはぴっちり閉じてしまった襖を睨みつけて立ち上がる。うんざりしながら玄関に行くと、そこにはその「うんざりの素」となる人物が立っていた。 「あれ、あんただけ? 誠一さんは? 」 「仕事。お父さんはあんたみたいに暇な女子高生じゃないの」 「うるさいわね。アタシだってモデルのバイトしてるから忙しいわよ」 「なら此処になんか来なくていいじゃない。なんで来るのよ」 「なんでって、これ」 玄関先の女はふふっと笑って手にしたものを掲げて見せた。風呂敷に包まれているそれはやけに大きい。あたしが不信そうに見ていると、女は自慢げに胸を張った。 「今日の弁当は5段重ねよ。少し自信作なの。誠一さん、魚料理が好きだっていってたから」 「別に料理なんか作ってこなくていいのに。お父さんも言ってたでしょ」 「アタシが作りたいんだからいいの。で、誠一さんは何時に帰ってくるの? 」 女はあたしのうんざりした顔を気にも留めない。重箱を胸に抱えたままなんだか楽しそうに聞いてくる。だからあたしは答えてやった。 「夜中。超遅い時間だから今日は会えないよ」 「あんた嘘が下手ねえ」 女はあっさりと言い切った。あたしはむっとする。もちろん嘘だったのでそれ以上は言い返せなかった。 それを見て女はにっこりと笑う。 そうしてどこかわくわくとした様子で、玄関先に腰を下ろした。 「じゃあ、ここで待たせてもらうから」 女の名前は久留巳さやかという。なんでもお父さんがいつものようにほおっておけなかった人間のひとりであるとのことだった。 詳しい話は知らないけれど、先日、おとうさんがタクシー会社をクビになった原因はこの女―さやかにあるらしい。もっとも、それを知った当人はびっくりしたみたいだったけど。 お父さんに助けられてから3日後にこいつは家にやってきた。どうやって家を調べたのかしらないけど、御礼といってお弁当とケーキを持ってきた。 とはいえそういう人は珍しくなかったから、あたしも最初は気にもとめなかった。手作りらしいお弁当とケーキはとてもおいしかった。 気にしだしたのはそれが5度ほど続いたときのことだ。4〜5日に一度ほどお弁当をつくってきてはお父さんに渡している。 御礼にしてはマメ過ぎだ。だからあたしはなにやら不穏なものを感じていた。まさかお父さんを騙すつもりじゃないでしょうね。そう思ったのだ。 久留巳さやかは美人なほうだと思う。モデルをしていると聞いたけど、たしかに違和感がないくらい整った顔をしている。 出ているところは出ているし、引き締まっているとことは引き締まっている。髪も服も相当気を使っているように思う。ようするに美少女、と呼んで差し支えはない。そういう種類の女なのだ。 だからあたしは警戒した。 正直、お父さんからお金を騙し取るのはちょろい。色仕掛けなんてしなくても簡単に取れてしまう。美人局でなくても、自分のかわいそうな状況を話さえすればお父さんからお金は取れる。 お父さんがお人よしなのをしっているなら、騙すのはもっとたやすい。 だから毎回、久留巳さやかが来るたびにぴりぴりとその様子を伺っていた。 だけども久留巳さやかにそのそぶりは見えなかった。 いつまでたってもお弁当を作ってくるだけで何もしない。お弁当をつくってきて、お父さんに渡して、そうして少しお話して。 すると嬉しそうに帰っていく。ぶっちゃけよくわからない。 あたしが首を捻っていると、いつのまにか押入れから出てきていた根倉がそうっとつぶやいた。 「美幸さん、たぶんあの方は誠一のことが……」 あたしはお重を抱えたまま座っている女を見やった。 まだ高校3年生らしいから、わざわざ家に帰って着替えてきたのだろう。雑誌とかテレビで見るような可愛い服装を着こなして、メイクもきっちりとこなしている。 どことなくそわそわしながら、コンパクトミラーを出して自分の顔や髪をいじったりしているようすは、たしかに根倉の言うとおりに見えた。 だからあたしはずかずかと久留巳さやかの側によると、その前に仁王立ちになった。 もし根倉のいう通りなのだとしたら、ここは一発きちんと言ってやらねばならない。そう思ったのだ。 「久留巳さん」 「ん、なに? 」 綺麗にアイシャドーをひいた瞳がこちらを向く。瞳がきらきらと潤んでいるようすはまさに根倉の意見が正しいことを感じさせた。 だからあたしははっきりと言ってやった。 「お父さんは、好きな人がいるんだからね」 「……」 「お父さんはね、あたしのお母さんのことが好きなの。ずーっと、ずーっと好きなのよ。 捨てられたのに、あたしのことを押し付けられたのに、それでもいまでもずーっと好きみたいなの。悔しいけど、それは本当なの」 「……」 「だから、いくらあんたがお父さんのこと好きでも無理だから。さっさと諦めた方が身のためなんだからね! 」 一気にそう言って、あたしはぜいぜいと息をついた。 お父さんの好きな人の話は嘘ではない。それは本当のことだった。 あたしはお父さんのことが大好きだけれど、たったひとつだけわからないことがある。それがこの好きな人のことだった。 あたしは自分のお母さんのことをよく知らない。 だけどお父さんのことを捨てて他の人と結婚してしまったお母さんのことをあたしは正直好きじゃなかった。 でもお父さんは今でもお母さんのことが好きなようだった。 だから久留巳さやかがお父さんのことを好きで、恋人になりたいとか思っていても絶対無理なのである。 そのことを知って、どんなにショックを受けてるんだろう。でも仕方がないよね。失恋は早いほうがいいと言うし。 ちょっとだけかわいそうに思いながら久留巳さやかを見てみると、しかしそこには何故だかぽかんとしたような表情のまま固まっている女がひとり居た。 失恋してショックというわけではないようだった。 今まで石だと思っていたのはダイヤモンドだったんですよー、そう言われてびっくりしているような顔だった。 「……好き? 」 「……ん?」 「アタシが、誠一さんのことを……? 」 「んんん!? 」 今度はあたしが唖然とした。 もしかしてこのひと、まさかいままで、自分の気持ちに自覚がなかった……んじゃないでしょうね? そのとき、タイミングよくドアノブが回された。 「ただいま帰りました」 「!」 その声に久留巳さやかの身体がびくりと震える。そろそろと見あげた瞳が帰ってきたばかりのお父さんのそれと合った。 お父さんはほんの少しだけびっくりしたような顔をしたけど、すぐにあいかわらずのふんわりとした優しい笑顔を浮かべた。 「あれ、さやかさん? こんばんは」 「!!!!」 その瞬間、久留巳さやかの顔が真っ赤になったのをあたしは見た。そうして慌てたように立ち上がると、なにやらもごもごと言いながら重箱をお父さんに押し付ける。 「え? いただいていいんですか? 」 久留巳さやかは真っ赤な顔のままこくこくと頷いた。お父さんはさらににっこりとする。 「ありがとうございます」 久留巳さやかは俯いたままさらにこくこくと頷いた。顔は真っ赤で、むき出しの肩や栗色の髪からのぞく耳までが赤く染まっている。 それを見てお父さんは首をかしげた。お父さんは誰にでも優しいのだ。 「さやかさん?……もしかしてお熱でもあるのでは……? 」 そういって大きな右手を久留巳さやかの額にあてる。久留巳さやかの身体がびくっと動き、そうして次の瞬間にはその手から逃れるように離れるのをあたしは見た。 「……? さやかさん? 」 久留巳さやかは壁にへばりついた格好のまま、い、いやだいじょうぶっす、なんでもないっす、なんてことをもごもごと言っていたけど、お父さんと目が合うとさらに顔を真っ赤にさせた。そしてついにはうーとかあーとか言いながら、家から飛び出していってしまった。 「……どうしたんでしょう、さやかさん」 「……知らない」 何も知らないお父さんの心配そうな声を聞きながら、あたしはむっつりと答えた。 あたしたち3人の平和な生活を脅かすかもしれないお邪魔虫を、自らの手で叩き起こしてしまったことに気づいたのだ。 「それにしてもこれはおいしそうなお弁当ですねえ。有難くお夕飯にさせてもらいましょう。僕に美幸さんに根倉さん……みんなで食べても余る位いっぱいありますよ」 お父さんの暢気な声を聞きながら、あたしはこれからのことを思って盛大な溜息をついたのであった。 2010・4・2
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