「或る若社長の花嫁」

或る化け物たちの宴会







「うむ。優次、次の日曜日には『はろいん』をしようかの」
「へ?」
椿さんのいきなりの言葉に、ぼくは変な声をあげてしまった。
「はろいん? 」
「うむ。はろいんじゃ」
「な、なんですか、それ……? 」
おずおずと尋ねると、椿さんは今まで見ていた本を指差した。
ぼくはそのカラフルに彩られたページを見て、なるほどと納得する。
「ああ、ハロウィンですね」
「……う、うむ、それじゃ」



この部屋にはなんでもある。
本にテレビに雑誌。いろんなおもちゃにきれいな洋服。それだけじゃなく、ゲーム機やパソコンまで揃っていたりする。
それらを買ってくるのは全部桜井さんだった。
椿さんに聞くところによると、ぼくという通訳者が来るようになってから「奴は前よりも阿呆のように買ってくる」のだそうだ。
「まったく、げえむもぱそこんも使い方がわからんのに」と椿さんは言っているけれど、それでもぼくに使い方を聞いて一生懸命練習しているようすは微笑ましかった。
桜井さんは桜井さんで、椿さんがちゃんと使っているか、楽しんでいるか、それをいちいちぼくに確認しては嬉しそうにしている。椿さんも桜井さんもぼくよりもずうっと年上の大人の人なのだけれど、そんな姿は正直可愛らしく見えた。

 椿さんは本が好きなようだった。もともとこの家には本がたくさんあって、それを何度も読み返していたらしい。この家にかつて住んでいた子供や、昔なじみの六尾さんや赤毛さんなどに頼んで持ってきてもらったりもしていたと言っていた。だからだろう。椿さんはそのちいさな姿に似合わないほどの、膨大な知識を持っている。

 と、いうのに不思議なことに、椿さんはカタカナ……というか外国の言葉が苦手なようだった。なんだか発音がおかしいのだ。テレビで見るおばあちゃんみたいにたどたどしい。
そう思ったのだけれど、それを口にするのはやめておいた。桜井さんのお友達の小町さんが言うところによると、「とにかく女性には若くみえますねっていっとけばいいのよ。それ以外は逆効果。間違ってもおばさんみたいとかは言っちゃ駄目。世の中を上手く渡る為におぼえときなさい」だそうだから。









或る化け物たちの宴会







なにはともあれ「ハロウィン」をすることになった。椿さんによると「優次はおばけの格好をしてくればいい」のだそうだ。ぼくは素直に頷いたのだけれど、おばけってどんなものなのだろうと少し考えた。
たぶんなのだけれど、椿さんや六尾さんはおばけの部類に入るのだと思う。そう考えると、なんだか不思議な気がした。

 桜井さんや小町さん、近藤さんやリコさん、それに桜井さんには内緒で美幸さんにも電話して椿さんのハロウィンやりたい発言を伝える。みんな、行くねって言ってくれた。六尾さんにも伝えたかったけれど、連絡手段がわからないので諦めた。そういえば六尾さんはどこに住んでいるのだろう。猫としてどこかの家で飼われているって椿さんは言っていたけど。

リコさんと小町さんはなんと日曜日がちょうどお休みだったのだという。ふたりは同じフランス料理店で働いていて、だからこそ休みが被ることなんて滅多にないらしい。「すごいわねー。これも桜井の幸運パワーのおかげなのかしら」と小町さんが言っていたけれど、ぼくもびっくりした。確かにそうなのかもしれない。
 「あ、でも桜井さんのパワーっていうより、椿さんのパワーなんじゃないんですか?」少しだけ不思議に思ってそう聞くと、小町さんはいつもの眠そうな口調であっさりと答えてくれた。
「椿さんは『桜井のための』座敷童子でしょ。正確に言うと桜井家の直系にしかそのパワーは通じないらしいわよ。前に近藤がいろいろ調べてたの」
近藤さんとは桜井さんと小町さんのお友達のお兄さんの名前だった。眼鏡をかけていて少しだけ太っている。耳にすうっと馴染むやさしい声をしていて、人の話を聞くことがとても上手い、やさしいお兄さんだ。
 その近藤さんと小町さんは仲がいい。近藤さんは気づいていないようだけれど、小町さんは近藤さんのことをとても信頼しているようだった。だからだろう。近藤さんと一緒に居る時の小町さんは可愛い。椿さんもそう言っていたけど、桜井さんは「そうか? 」と首を捻っていた。「まったく男は鈍感じゃのう」といって椿さんは呆れていた。
 その椿さんについて、電話の向こうの小町さんはこう言った
「椿さんが幸運なんじゃないの。椿さんが憑くことに決めたその相手が幸運になるのよ。だから別に椿さんは幸運じゃないってわけ。知ってる? 座敷童子は最高の能力を持つ存在だけれど、反面、自分の身を守ることもできない最弱の存在でもあるのよ」



「とりっくおあとりいと! 」
日曜日、開口一番に椿さんはおばあちゃんみたいな発音でそう言った。にこにこと上機嫌そうに笑っているのは相変わらず可愛らしかったけど、ぼくはどうすればいいのだろうかと悩んでしまった。だって、こんなパーティみたいなことは始めてだった。お誕生日会もしたことはないし、行った事もなかった。仲が良かった時にレンちゃんがひとりでお祝いしてくれては居たけれど、ハロウィンパーティになると勝手がわからない。
「え、ええと……」
 とりあえずぼくはポケットを探った。そこに飴玉があったので椿さんに差し出す。トリックオアトリートだと(多分)椿さんは言った。「おかしをくれなきゃいたずらするぞ」という意味だ。すると椿さんに額をぺんと叩かれた。
「あほう。お主がお菓子をくれてどうする。ほれ、子供である優次のほうがおばけになって菓子をくれというのじゃろうが」
「え、でも椿さんがトリックオアトリートって言うから……」
「ん? それってそういう意味じゃったのか。ただのはろいんの挨拶だと思っておったわ」
「椿さん……」

 部屋にあがると桜井さんがすでに来てなんだか嬉しそうに座っていた。傍らにはわんさとお菓子の箱やら袋やらが詰まれている。しかしぼくを見ると、わずかに怪訝そうな顔をした。
「なんだ。お前はモンスターの格好をしていないのか」
「ええと、はい、今から……」
「ちなみにいま、椿さんはどんな仮装をしている? 魔女か? 化け猫か? 」
「ええと、なんの仮装もしていません」
「……そうか」
桜井さんは目に見えてがっかりした顔をした。最初の頃に比べて、桜井さんの表情の変化はわかりやすくなってきたように思う。
「……まあそれはそうか。仮装は子供がするものだからな」
自分に言い聞かせるように桜井さんは言ったけれども、いつも椿さんが座っている座布団の前にいくつかの紙袋を置いてあるのが見えた。そこからはきれいな色の服やら猫耳カチューシャやらが覗いていたので、もしかしたらぼくが来るまで椿さんに「仮装してみてください」とか言っていたのかもしれない。


「ト、トリックオアトリート! 」
 ぼくはゴミ置き場で拾ってきれいに洗っていた白いシーツを被っておばけに変装した。目の部分をマジックで塗って小さく穴を開けている。こんなものでいいのかなあと思ったのだけれど、椿さんは喜んでくれた。桜井さんは「しょうもない仮装だな」と言って椿さんに叩かれていたけれど、ちゃんと用意しておいてくれたお菓子をくれた。
 次に来た小町さんと近藤さんもお菓子をくれた。小町さんはぼくの仮装を見て大笑いしていたけれど、近藤さんはやさしく「うん、可愛いねえ」と言ってくれた。
 リコさんはやってくるなりぼくと椿さんをぎゅーっと抱きしめた。「ごめんなさい、あまりに可愛かったから……」とふんにゃりと笑うリコさんの方がよっぽど可愛い。
「でも椿さんは仮装をしていないんですね」
椿さんのことを座敷童子とは知らないリコさんは不思議そうにそう言った。そうしてここで桜井さんの幸運パワーが炸裂した。
リコさんが、座布団の前に置き去りになっていたハロウィン衣装をみつけて目を輝かせたのである。
「あっ椿さん! ここにせっかく衣装があるんですから、着てみませんか? きっと可愛らしいですよ」
「……」
椿さんはリコさんに弱い。リコさんが椿さんを人間だと思っている珍しい人だからなのか、それとも桜井さんが昔世話になったからなのかわからないけれど、少し悩んだあとに大人しく化け猫の衣装に着替えていた。
正直、すごく可愛かった。大きな猫耳に、首には鈴の付いた赤い首輪。ふわふわした紫色のドレスに白いエプロン。ドレスの裾からは黒いしっぽが覗いている。
かわいい。かわいい……けど、化け猫ってこんな感じなんだろうか。
「違うと思うよ。これは桜井の妄想の産物だね。しいていうなら男の頭の中の魔物みたいな……」
椿さんの格好を教えると、近藤さんはひきつったような笑みを浮かべながらそう教えてくれた。小町さんは「あははは! 桜井ってマジ変態〜。キモイ〜」
と言って大笑いしている。椿さんの姿が見えるリコさんは大喜びで可愛い可愛いと目を潤ませていた。
 そして当の桜井さんといえば、ぼくが椿さんのその格好をお教えした途端に鼻血を出して倒れてしまった。
 あわてて介抱するリコさんと近藤さんの傍らに座った「男の魔物」姿である椿さんが心底呆れたようにつぶやいた。
「こやつは一体何がしたいんじゃ……」


「トリックオアトリート! お菓子をくれなきゃいたずらするぞーっ! お金でも可! でも桜井さまならいたずらされてもかまいませんけれど! 」
そうして最後にドカーンとやってきたのが美幸さんだった。元気よく挨拶をして部屋の中に入ってきた美幸さんはなんだか見覚えのあるぼろぼろの黒いマントを羽織っている。その下には黒いワンピース。
 美幸さんはその場でモデルさんのようにくるりと回った。美幸さんは足が長いのですごく様になっている。そうして畳の上に横になっている桜井さんに向かって満面の笑顔を向けた。
「どうっスか! あたしの魔女姿はどうっスか桜井さん! 欲情しました? 」
「するかバカ」
「してもいいのですが。既成事実から先でもかまわないのですが」
「五月蝿いバカ」
桜井さんは相変わらずつれない。起き上がり、冷淡な目で美幸さんの背後を睨みつけている。
「……そいつも来たのか」
「あ、す、すみません……!」
桜井さんの言葉に身を縮めて謝ったのは根倉さんだった。桜井さんの声に棘があるのはいつものこと。桜井さんは、椿さんと仲の良い根倉さんや六尾さんをあまり好いてはいないようなのだ。
 根倉さんはいつも真っ黒なマントを羽織っている。風が吹くとそれが広がって、まるで巨大な翼の様にも見えていた。しかし今日は珍しくそのマントを羽織っていない。そのせいか、いつもよりさらに小さくておどおどとして見えた。そこでようやく気がついた。美幸さんの羽織っている黒いマント、それはいつも根倉さんが身につけているものなのだ。
「ちょうど魔女っぽいでしょ。だから根倉からひっぺがし……借りたの」
マントを脱いでいる根倉さんは真っ黒な学生服のようなものを着ていた。マントの下はこんな風になっていたんだ、とぼくはまじまじと見てしまった。それを見て根倉さんはますます身を縮めている。しかしふいにポケットに手を突っ込むと、はにかみながら一粒のチョコレートをぼくにくれた。
「……はい。ハッピー、ハロウィン」


ハロウィンパーティは凄く楽しかった。みんなが持ってきてくれた食べものや飲み物、桜井さんが用意してくれたお寿司もおいしかった。そのうちに大人達はお酒を飲み始めて、酔っ払った小町さんが服を脱ごうと暴れるのを止めるというハプニングはあったけれども、それすらも楽しかった。みんなもにこにことしていて、楽しそうだった。


夜になる手前でパーティは終わりになった。みんなが上機嫌に帰っていくのを見送るのは、ほんの少しだけ寂しい気がした。
「車で送っていくから少し待っていろ」。そう桜井さんが言ってくれたので、お言葉に甘えて縁側で待っていた。するとがさがさと音がして六尾さんがあらわれた。秋になったからか、浴衣ではなくて、着物のうえに茶色い上着を羽織っている。
「ん? 童子、その格好はどうしたのかのう? しかもなんかうまそうな魚の匂いがぷんぷんするが」
「遅かったな、六尾」
ぼくの隣に座っていた化け猫椿さんがにやにやした。
「今日ははろいんぱあていをしたのじゃ。うまい寿司もたっぷりあってな」
「な、なんと……! 」
「来るのが遅いお主が悪いのじゃろうが」
「ひどい……」
六尾さんはがっくりと肩を落とした。そうしてそのままとぼとぼと帰っていく。その背中には哀愁がこれでもかというほどただよっていた。ぼくはあわててその背中に声をかける。
「ろ、六尾さんすみません……あの、ぼく、六尾さんの連絡先がわからなかったものですから、パーティのことお伝えできなくて……」
「六尾」
そのとき椿さんが六尾さんに向かって何かを投げた。振り返った六尾さんが受け取ったもの、それはひとつの猫缶だった。
「正美のやつ、ちゃんとおぬしの分も用意しておったんじゃぞ。おぬしが飼い主にだいえっとを強行されておると聞いていたらしくての、それはちゃんとかろりいおふのものらしい」
「……ほう」
六尾さんは瞬き手の中にある缶詰に目を落とした。なにかを懐かしむように小さく笑うその顔は、すごく嬉しそうだった。
「うむ。じゃあ、ありがたく頂いておこうかの」


 ふいにうれしい感情が溢れるのを感じた。ああ、いいなあ、と素直に思った。ふわふわと心が躍るような、そんなかんじ。
この家は本当にあたたかくて心地がよい。
そうしてそれを作っているのは、まぎれもない椿さんと桜井さんだった。見えないし触れない。見てもらえないし触ってもらえない。そんなふたりなのに、こんな空間をつくりだすことは簡単にできるのだ。


11月最後の日曜日。

このときにぼくは「ああ、椿さんと桜井さんが大好きだなあ」と、はっきり自覚したのだった。



2010・10・11










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