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@補足例 心霊写真などでよく顔がうつりこむことがあるよね。 アレは実は木の模様や水の流れ、岩肌の凹凸や服の皺が人の顔に見えているだけということが多いんだ。 ヒトの脳には紡錘状顔領域というものがあるからね。 紡錘状顔領域とは人間が顔を認識する神経細胞のことだよ。 赤ん坊はこれによりヒトを認識すると考えられている。 自分で生き延びることの出来ない赤ん坊は自分を守ってくれる人間を知覚する必要がある。 そこでこの細胞によりヒトの顔を認識するわけだね。 赤ん坊がヒトの顔を見てにっこりするのもそのためさ。 なので人間は点が3つあるだけでもヒトの顔に見えてしまう。 ● ● ・ どうだろう。 単なる3つの点が、きょとんとしている人の顔に見えないかい?
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やあやあおはようこんにちはこんばんは。 オカルト博士Kです。 私事ですが、なんと就職先が決まりました。 先日、会社が倒産して一ヶ月。 まさかこんなに早く再就職先が決まるとは思わなかったよ。 BBSで励ましのコメントをくれた皆、ありがとう。 これで安心してこのサイトも続けていくことができるよ。 というか、実はこのサイトのおかげで再就職先が決まったようなもんなんだけどね。 高校時代のクラスメイトが偶然このサイトを発見して、まあ僕の状態(絶賛無職中☆)に気づいたようなんだな。 それで自分の会社に入らないかと言ってくれたわけだ。 なんともありがたいことだよ。 そうだな。 今日はそのクラスメイトについて語っておくかな。 そいつとは高校2年の時に同じクラスになった。 とはいえ当時の僕はオカルト同好会(部員一人)の部長をやっているというオタク路線一直線でね。まあ地味な学生だった。 ほら、クラスの中には大体3つのランクがあるだろ。 派手なグループと普通のグループと地味なグループ。 想像がつくだろうが、僕は完全に地味グループに属していた。 それも地味グループのさらに最下層にいた。 簡単に言うとあれだ。 女子から見ればアウトオブ眼中☆てめえうぜえんだよどっかいけこっちみんな的な奴だ。 というより牛乳を拭いた雑巾でも見るような目で見られていた気がする。 あれ?おかしいな。 自分で書いていて涙が出てきた。 しかし当時の僕の興味はオカルト>>>>>女子だという、不健全極まりない状態だった。 そしてそのことに後悔もしていなかった。 今では違うよ。 オカルト>>>女子くらいにはなった。たぶん。 なのでもし僕に興味があっる婦女子の方がおられたら、遠慮なくメルアドを教えてくれたまえ。 いやすみません。 教えてください。彼女欲しいです。 …話を戻そう。 クラスメイトの話だったな。 そうだな、そいつは仮にSとしておこう。 某大企業の御曹司でな。 顔も頭も良いし、性格も明るいしで先ほどのクラスランクでいうと派手グループの最上部に位置する奴だった。しかも女子にもてまくっていた。 いろんな女子と付き合っているとか噂を聞いてたが、不思議はなかったな。 まあ僕からすれば同じクラスにいるのに別次元にいるような男だったわけだ。 事実、半年間もの間一度も喋ったこともなかった。 それがどうしてクラスランク最下層の俺と接点ができたのかというと、当時の僕の楽園である「オカルト同好会」の部室(同好会なんだけどな)に奴がやってきたからだった。 しかも真剣な顔で「話を聞きたい」とな。 いやあ、驚いたね。 Sがまさかそんな方面に関心があるなんて思わなかったからな。 さてこのサイトの常連である方なら存知ていると思われるが、僕は「超常現象否定派」だ。 理由は簡単。 あらゆる超常現象には確固たる証拠がないからだ。 しかし世の中に不思議なことがあってほしい。 だからこそ俺のオカルト的なものへの興味はつきないわけだ。 だからSが「幽霊がいると思うか」といった時にはこう答えたね。 「いると思えない」 奴は吃驚していたよ。まあそうだろうね。 仮にも「オカルト同好会」部長だ。オカルトなものを信じてる痛い奴。そう思ってたんだろう。 他のクラスメイトがそう言っているのも知ってたしね。 とりあえず僕はSに「幽霊のいない」根拠を説明してやった。 Sはど素人だと思ってたんでこれでもかというほどわかりやすくね。 ひとつ、世の中に溢れる心霊写真の多くがカメラの異常・光の屈折・脳にある紡錘状顔領域の存在により説明がつけられること。 ひとつ、妖怪などの伝承も、科学により物事のシステムが解明されていなかったことによる「物事の説明」的意味合いで説明がつくということ。 ひとつ、幽霊の出現、ポルターガイストなども、脳神経のいたずら(幻覚など)で説明がついてしまうこと。 わかりやすく説明してしまった所為で、いつのまにやら3時間が経過していた。 Sは憔悴しきった表情だったよ。 さすがに疲れたのか。そう思った僕は帰宅を促したんだがね。 だけどあいつは首を振るんだ。そうして言った。 「…お前は心霊現象というものを信じていないのか」 僕は答えたね。 「いや違う。僕は信じたいんだ。世の中には不思議なものがあったほうが面白いじゃないか。だからきちんと証明をしたいだけなんだよ」 「証明」 「そうさ。テレビでやるオカルト番組をみたことあるかい?あれはひどいね。オカルト研究家たちは起こっている現象をひとつも科学的に説明しようとしないんだ。だから科学者たちは誰も納得できない。納得するのは自称心霊研究家か自称霊能力者。そして不思議なものがあったほうがいいと思う一般人だけだよ」 「……」 「とはいえ僕も不思議なものはあったほうがいいからね。だから、オカルトを科学できちんと解明していく。解明して解明してしつくして、そうしてどうしても解明できないものがあったら、それがれっきとした証拠になる。そうしてはじめて胸を張っていえるんだ。幽霊はいるってね」 僕は自身まんまんに言い放った。 いや、我ながらこんなことを真剣に考えている高校生なんてどうかと思うよ。 だけど僕は本気だった。 完全に本気だった。 痛い奴だと言われようと、牛乳を拭いた雑巾だと思われようと、僕にはどうでもいいことだったのだ。 そう。 考えてみればこれが僕の青春そのものだというわけだ。 Sは沈黙していたね。まあそりゃあそうだろう。 しかし次の瞬間。 僕はびっくりしたね。 目の前のSの沈鬱な表情が、するすると晴れていったのだから。 哀しそうではあったけどね。 「お前に尋ねたいことがある」 呆然としている僕の前でSはおもむろに口を開いた。 「座敷童子はいると思うか?」 いやいや、コレにも驚いたね。 よりによって座敷童子。 てっきり自分の写真に幽霊らしきものが映ったから悩んでいるとか、右肩が重いから霊がついてるんじゃないかとか、そういうことだと思っていたからね。 とはいえ教えることは簡単だ。 実際、僕は座敷童子の出るという某旅館に泊まったこともあるぐらいなのだ。 僕は立ち上がり、並べている分厚い手作りファイルのひとつを引っ張り出した。 「座敷童子がどういう存在なのかは知っているかい?」 「だいたいは。だが、できれば教えてくれ」 「わかった」 僕はファイルをSに開いてみせながら説明した。 以下、ざっと座敷童子について記載しておこう。 まあこのブログの常連の皆さんなら当たり前のような内容だけどね。 ・ 座敷童子は、主に岩手県に伝えられる精霊的な存在。 ・ 座敷または蔵に住む神と言われ[家人に悪戯を働く、見た者には幸運が訪れる、家に富をもたらすなどの伝承がある。 ・ 座敷童子は豪家や旧家の奥座敷におり、その存在が家の趨勢に関ると言われている。 よってこれを手厚く取り扱い、毎日膳を供える家もある。 ・ 小豆飯が好物といわれることから、小豆飯を毎日供える家もある。 飯が食べられていないと家が衰退する前兆だともいう。 ・ 座敷童子は狐持や犬神持に類似した構造を持つが、座敷童子の住んでいることを迷惑がらず むしろ神として保護し、周囲の人間も座敷童子のいる家に対して一種畏敬の念を持って接する点が、それらとは異なる。 ・ 民俗学者・佐々木喜善は座敷童子のことを、圧殺されて家の中に埋葬された子供の霊 ではないかと述べている。 東北地方では間引きを「臼殺(うすごろ)」といって、口減らしのために間引く子を石臼の下敷きにして殺し、 墓ではなく土間や台所などに埋める風習があったといい こうした子供の霊が雨の日に縁側を震えながら歩いていたり、家を訪れた客を脅かしたりといった、座敷童子に似た行為が見られたともいう。 ・ 特に黒い座敷童子といわれる「ノタバリコ」や「ウスツキワラシ」は座敷童子の中でも下等なものとされており、 前者は内土間から這い出て座敷を這い回り、後者は臼を搗くような音をたてたりと気味の悪い振る舞いをするといわれていることから、 これらの座敷童子に、間引かれた子供の埋められた場所が土間や臼の下などであることが関連しているとの指摘もある。 ・ このような間引きとの関連に加え、座敷童子のいる家が旧家であることや、村の外から訪れた六部(巡礼僧)を殺害した家が 後に没落するという伝承と結び付けられて語られていることがあることから、座敷童子は村落共同体の暗部の象徴との指摘もある。 「ここからは俺の解釈になるが」 僕はここで自分の考えを述べることにした。 「貧しい家のものが兄弟のひとりを間引いて殺した。するとその子供の分の食費が浮く。 自然とそのぶんだけ生活が楽になる。だから以前よりは裕福になる」 Sはファイルに目を落としたままだ。 「殺した子供の祟りが怖い。だからその子供を手厚く葬る。時には奥座敷をあたえてそこに祀る」 あくまで仮説。 「間引かれなかった残された子供は疑問を持つ。大人は答える。あの奥座敷に子供を祀っている。 神様になったのだ。子供はそれを信じる。居ると思う。思ったまま昼寝をする。 想像の中の子供と遊ぶ夢だ。しかし子供はそれを現実にあったことだと錯覚する。浅い眠りの中で見た夢は、しばしば現実のことと混同されることがある。 子供は大人に言う。本当に座敷に子供が居たと。しかし大人はそこに子供がいないことを知っている。 けれども本当のことは言えない。だから本当に居ることにする」 妖怪や怪物という伝承が生まれる経緯には、必ず人間側の事情が関わっている。 「子供には見えて大人には見えない。その理由も、現実的な解釈を考えて見ればこうなるね。 だから俺には座敷童子という存在が居るとは思えない」 Sはしばらく黙っていたが、やがて真剣な瞳を僕に向けてきた。 「俺に見えていた。といったらどうする?」 「どうもこうも。僕が自分の目で見たわけじゃないから信憑性はゼロに近いね」 「…子供の頃の俺が見えていたことに説明はつくか?」 僕は答えた。 「簡単さ。子供が見る白昼夢、幻覚」 そうして違うファイルを取り出した。その背表紙にはこう書いてある。 幻視・幻聴について。 「幻覚は思ったよりも簡単に起こる。中脳辺縁系のドーパミン神経の過活動が原因という説もある。ドーパミンってわかるよな。脳が分泌する一種の麻薬物質だ。とはいえ幻覚は麻薬などの服用、精神病や心的外傷後ストレス障害みたいな特殊な状況でのみ起きるわけじゃない。正常人であっても、夜間の高速道路をずっと走っている時などの刺激の少ない状態、つまり感覚遮断に近い状態が継続した場合に発生することがあるんだ。そして幻覚ってのは『本人にとっては本当に起こっている』ことなんだよ。人間は脳ですべてを知覚しているのだから、その脳が間違った情報を与えている状態である限り、本人には現実に起きていると認識されているとことになる。しばしば幽霊を見たと発言する人のみんながみんな嘘をついているわけじゃない。彼らにとっては、彼らの脳にとっては本当におこったことなんだよ」 だから幽霊が居る派と居ない派の意見は衝突するのさ。おたがい、嘘は言っていないのだから。 僕の言葉にSの顔が翳る。何かを思い出すように瞼を伏せた。 「…たしかに彼女に会うのは刺激の少ない…人の出入りも、外の音もほとんどしない屋敷の奥だったな」 そうしてSは溜息を吐いた。 重い、重いものだったよ。 「…そうか。幻覚か…」 それきりSは黙り込んでしまった。 それはクラスで見る、誰にでも明るい笑顔を見せるSの姿じゃなかったよ。 まるで…そうだな。 恋人と永遠に会えなくなった人間のようだった。 さすがに可哀想になったね。 すると黙り込んでいたSがぼそりと問いかけてきた。 「あとひとつ。…座敷童子にもう一度、会える方法はあるだろうか」 おおう。これまたびっくり。 Sは思ったよりも座敷童子にご執心のようだった。 もしかして友達だったのだろうか。 そう思いながら、僕は答えた。 「さあ…。徹底的に感覚遮断をすればみれるかもしれないが。究極なのは臨死のときだね」 Sがかすかに顔を上げる。 「死ぬ間際には死の痛みを和らげる為に脳内麻薬が分泌されるしね。わかるよね、麻薬ってのは幻覚作用があるんだ。 そうしたらその幻覚がまた見れるかもしれない。人によっては三途の川を見たり、花畑を見たりするそうだし」 僕はそこでSを見やった。 その瞳は真剣そのものだった。 からかいや冗談なものはそこには一欠たりとも潜んでいない。 だから僕は、オカルト側の意見で、少しはマシなものをひとつ教えてやることにした。 「…あとは…そういうものはおれたちと同じ次元には存在していないという意見がある」 「……次元?」 Sが繰り返す。僕は頷いた。 「あの世って知っているだろ。日本で言うと極楽、欧米で言うと天国のことだな。 おれたちの居るこの世界が現世(うつしよ)。そして2つの世界の狭間にはもうひとつの世界があるとされている。 それが幽世(かくりよ)だ。俺たちが居るこの世界と限りなく近い場所にもうひとつ世界があって、幽霊や妖怪はそこで生きているという説だ。 そうして稀にその世界に触れることの出来る人が居る。それが霊能者と呼ばれるんだとね。 うそ臭いが、さすがに次元ばかりは科学で解明できていないからね。その意見を否定できないのさ」 意見を否定できない。けれど、肯定もできない。 「確固たる証拠がない状態では100パーセントの回答はない。 だからある程度いろんな原理で超常現象を説明できたとしても、僕が『居ないだろう』と思っていても、 次元という原理を解明できていない今の段階では『座敷童子は居るかもしれない』のさ」 僕の回答はおそらくはSの求めていた回答とは違ったものだったのだろうと今となっては思う。 思うにあいつは、「座敷童子」の存在を第三者に決定付けて欲しかったんだろう。 100パーセント。完全に。 だけど僕は嘘をつくようなことはしなかった。 そのときの僕の真実を述べただけだ。 だけどものちに、あいつはこう言ったよ。 「実は霊能者と呼ばれる人のところにはさんざん行ったんだ。 けれどそいつらに彼女の存在を肯定されても俺は信じることができなかった。だからお前には感謝しているよ」 ってね。 Sはまだ座敷童子には会えていないみたいだ。 だけども未だに諦めていないらしい。 そういえば僕はあいつにこうも言ったんだった。 「つまりはその存在と同様の状況になれば会えるかもしれないということだ。 死と言うのは今いる現世を離れてあの世に行くことだ。その時には人間は幽世を通ることになる。 お前の言う彼女にも、そうなれば会えるのかもしれない」 …うーん。 変なフラグが立ってなきゃいいんだがな。 まあいい。 明日もSと会う予定だから、自殺だけはやめとけと釘をさしておこうと思う。 それでは今日の「オカルト博士Kのブログ」はここまで。 ではではグッドナイト。さようなら。いってらっしゃい。 良い夢を。 2009・10・3
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