或る兄妹と猫のはなし |
男は僧侶ではない。 この服と杖は、旅で行き倒れた人間から剥ぎ取ったものだった。 この服を着て少しばかりの口上と少しばかりの奇跡を見せてやれば、大抵の人間は食べ物や金銭、運がよければ宿まで提供してくれる。 普通の服では奇異の目でみられていた髪と瞳の色も、この服になれば神の奇跡として見られることも多かった。 それに味を占めた男は、そうしてきままに旅を続けていた。 別に人間に化けなくても食べ物には不自由しない。 しかし彼は退屈だった。 だからこそ、旅を続けている。
或る兄妹と猫のはなし
ふいに声をかけられた。 「おぼうさま」 目をやる。そこに居たのは小さな子供だった。 子供はとたとたと寄ってくると、男へと笑いかける。 「おぼうさまだ。金の髪のおぼうさまは偉いんだってにいちゃんがいってた」 「おう。わしは偉いぞ。少なくとも戦ばかりしておる武将などよりはるかに偉い」 男は空腹のあまり座りこんでいた。 山際に沿うようになだらかに伸びている土手に寝転んで、さてどうしようかと空を見上げていたところだった。 昨晩辿り着いたこの村は、地域一帯をまきこんでの日照りに見舞われていた。 雨が降らず、作物が実らない。 そんなときによそ者の坊主に一食一飯を恵む余裕があるはずもなく、男の口先をもってしても3日ほど食べ物にありつけてはいなかった。 (仕方がないのう、元の姿に戻って猪でも獲るかの…) そう考えているとぐう、と腹の虫が鳴った。 「おぼうさま、おなかがすいてるの?」 「おうよ。腹の中には虫がいるからの。それが食べ物を欲してないておるのだ」 「虫?虫がいるの?へえ。さすがおぼうさまだね、よく知ってるんだねえ」 子供は嬉しそうにころころと笑う。 まだまだ幼い子供だった。生まれて3年か4年ほどのように見えた。 食うものがないからだろう。腕も足も、今にも折れてしまいそうなほど細い。 どこかしら顔色も悪いが、その頬は幼さを強調するようにふっくらとしていた。 「みつ」 そのとき田畑から一人の少年がかけてきた。 隣に居る子供がぱっと顔を輝かせる。 「にいちゃん」 「お前はみつというのかの?」 問いかけると、子供は嬉しそうににっこりした。 「うん。ええとね、にいちゃんはやひこというんだよ」 「ほう」 「……あ…」 少年は男に気がつくと気まずそうな声をあげた。 みつという子供より7つほど年上だろう。 妹と同じように痩せぎすだが、それでも手足はするりと伸びている。 田畑で親と同じように仕事をしていたのだろう。手足も粗末な着物の裾も、すっかり泥にまみれてしまっていた。 「…お坊様。すみません、昨日は家に泊めてあげれなくて…」 少年はやはり気まずそうにそう告げる。 その言葉に、昨日回った家の中に少年の家があったのだろうことを察知した。 「いや、気にするな。この辺りの乾き具合はすごいからのう。これではわしらの出番はない。祈祷師なら良いのだろうが」 笑ってそう言ってやる。 するとみつが兄の足に抱きつきながらその顔を見上げた。 「にいちゃん、おぼうさまのね、おなかの虫がぐうぐう鳴いてるんだよ」 「……」 少年は一瞬言葉を途切れさせる。 少年が自分の手に持つ包みに目を落とすのを、男は見逃さなかった。 太陽はてっぺんにのぼりつめている。 そうか。昼時なのだ。 「さて、じゃあわしは行こうかの」 男はよっこらせと立ち上がった。 尻についた土を払い落として子供たちを見る。 「わしのことは気にするな。食べ物のあてならあるからの」 「……すみません」 少年が小さく頭を下げる。 男は首を振った。この村には村人達でさえ食うものがほとんどない。 そんな状況の中だ。さすがの男も、こんな子供にたかるわけにもいかなかった。 するとみつが大きな声をあげた。 「おぼうさま、みつのひるごはんをわけてあげる!おいもだよ!」 「…みつ!」 少年が尖った声をあげる。しかし妹は澄んだ大きな瞳を兄に向けて、当たり前のようにこういった。 「だって、困った人にはやさしくしてあげないといけないって、にいちゃんがいってた」 「………」 兄がむっつりと押し黙る。 その様子に男は苦笑した。この状況は退屈を嫌うこの身には面白かったが、さすがに少年が可哀想だった。 「嬢よ、ありがとうな。でも大丈夫だからの」 笑ってみつの頭を撫でる。 そうして踵を返した。 「………」 「…にいちゃん…」 「…………」 「お坊様!」 20歩ほど離れたところで少年の声が追いかけてきた。 振り返ると、少年がこちらに向かってかけてきている。 そうして男の前で手にしていた包みを広げると、その中にある2つの芋のうちひとつを手にして男に渡した。 「…これ」 「こらこら。ほんに大丈夫だというに」 男は手を振ったが、少年は無理矢理それを手渡すとは背後を振り返った。 「もらってください。でないとみつがうるさいんだ」 「しかし」 「おれたちなら大丈夫。まだ1本あるから、それを半分にします」 少年の声は頑なだった。 そうして最後にちらりと笑顔を見せると背を向けて走り去る。 その向かっていく先には彼の妹が居て、こちらにむかって小さな手を一生懸命振っていた。 男は歩きながら、渡された芋に目を落としていた。 茹でているだけの芋は実に粗末で味気ない。 しかしあの兄妹にとっては貴重な食べ物であるに違いなかった。 だというのに。 「…恩ができてしまったのう」 金の髪の男は苦笑する。 「狐でもあるまいし、恩返しなどする気もないが…まあ」 そうして振り返り、今や遠目に黒い粒のようにみえる兄妹に向かって上機嫌につぶやいた。 「気が向いたら、手を貸すぐらいのことはしてもいいかのう」 2009・9・6
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